黒曜石の世界
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思ったこと、感じたこと・・・特にテーマなんてありません
仕事を終えて ほろ酔い気分 で書いてます きまぐれコラム 目次



黒曜石の石皿
酒好きの私 愛用のぐい飲みは随分前から作り楽しんでおりますが、酒の肴を乗せる器は未完のままでした。
酒飲みにとって「辛口の良酒、盃、皿」は三種の神器、試行錯誤を繰り返しやっと納得のできる「黒曜石の石皿」が完成しました。
石皿
150万年前、大雪山の激しい火山活動で生まれた黒曜石・・・この石に古代の剥離技術を応用し、皿の「みこみ」部を貝殻状の剥離痕で飾り、口縁と胴部を現代の研磨技術で磨いた「石皿」。
石の表面に浮かび上がった文様は、「元号でも西暦でも数えられない宇宙と地球が気が遠くなるような時間をかけて作ったものだ」と思うのです。

今宵も一杯飲みながら「時間だけは私のものだ!」とつぶやいておりまする。

2019年5月2日 




 
 オンネトーの春
20年ほど前に、横浜から遊びに来た姪っ子とオンネトー(老いた湖)までドライブ。
確かGWの少し前で、まだ氷に覆われ真っ白な湖の真ん中がぽっかりと開いてブルーという神秘的な光景に出会った。
あの時の光景をもう一度見たいと、その季節に何度か訪れたが巡り合うことはかなわなかった。

それが今日、念願かなって20年ぶりの再会


 オンネトーの春

曇っていたのでポッカリと開いたホールの水の色はエメラルドグリーン・・・大自然は地震、豪雨と猛威を振るいながらも、時には粋な計らいをしてくれる・・・
誰もいない湖畔でしばし見惚れていたら、一台のパトカーが・・・「何かあったのですか?」と尋ねると「昨日ここにクマが出たので警備中です」とのこと・・・十勝の春 実感!


 2019年 4月19日


きまぐれコラム 10年ぶりに復活しました
お付き合い よろしくお願い致します




昭和の十勝石?
来店された白髪のご老人が、紙袋から「黒曜石(オブシディアン)」の原石らしき石を出し、「十勝石ってどうやって出来たのか教えてくれないか?」 と突然質問するのです。
    
 注 当地では 黒曜石を「十勝石」と呼んでいます。

見ると、半分は土器のようで、半分は漆黒の色光を放っていました。


この石は、アーチ橋で有名なタウシュベツで産出する黒曜石に似ているなぁ〜と思いながら・・・

「十勝の黒曜石は150万年〜170万年くらい前、大雪山の火山活動の中で地下の珪酸質のマグマが火山の噴火で地上に出て急冷して出来たと云われてます。  ただ、だれもその現場を見たことが無いのでハッキリとは分かっていないようですけど・・・。」
などと一般的に云われていることを話しました。

ご老人は、持参した「原石」を手にしながら、
「実はこれ、昔、士幌の澱粉工場の火災現場跡で拾ったんだ。 どう見ても半分は焼け爛れているレンガだけど半分は十勝石だろ。」


あらためてよ〜くみると、土器みたいだと思っていた部分は確かにレンガなのです。


ご老人は 「そうか、十勝石は150万年前に出来たのか。 じゃあ これは昭和の十勝石だなぁ〜」 と感慨深げに当時の澱粉工場の爆発・火災の話しを聞かせてくれました。

帰り際、 「オレはもう年なので、この石はあんたが持っていてくれ。」 と云い残し帰られました。

日本各地と世界の黒曜石を収集していましたが、新たに「不思議な珍品」が加わりました。

これを「黒曜石」と呼んでいいのかどうか迷いながら・・・
一杯飲んで、1.4kgの原石をルーペで覗いているのですが・・・

うゥ〜ム これはどうみても「
黒曜石」としか云いようがありませんexclamation
2009.9.13

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工房の暖簾
何年か前から、「そろそろ店の壁と屋根の塗装メンテナンスした方がいいよ。」 とアドバイスは受けていました。
云われてみれば、新築の頃は屋根の雪は滑り落ちていたけど、最近は落ちずに積もったまま・・・
築16年、風雪と50℃近い気温差に耐え頑張ってくれたのだから・・・と紅葉までの観光オフタイムを利用して、店の屋根と壁のリホームを決断しました。

塗装職人さんの仕事を間近でじっくり見るのは初めてで興味津々。
「蜘蛛の網はり」も凄かったけど、職人さんの仕事ぶりも見事で魅了されっぱなし。

職人さんは簡単には「塗らない」のです。
塗る前の準備に膨大な時間を掛けているのです。
足場組み、壁と屋根の汚れ落とし、破損箇所の修理、そしてマスキング・・・。
塗装は雨の日は出来ないので、気象の変化を予測し作業計画を柔軟に変えながら全くムダのない作業。
そして、゛晴れた日には 間髪をあけず一気に塗る゛ プロの仕事に久しぶりに感動を覚えました。

次第に綺麗になっていく外装に反比例し、目立ちはじめたのが「色あせた手づくり暖簾」。
衝動的ですが・・・だまっていられなくなり、暖簾を新しく作り変える作業を始めてしまいました。

暖簾に描く絵・・・前作は「シマフクロウと月」がモチーフでお客様には結構好評でした。
相棒が黒いジーンズのような生地で「暖簾」を縫い、絵入れはボクの仕事。

今回は「縄文の遮光器型土偶」・・・この絵、黒曜石には彫っていましたが布に描くのは初めての挑戦。
           うぅ〜ん。 布に描くって石に彫るより難しぃ〜

悪戦苦闘の末・・・店の外壁のリフォームと、新しい
「暖簾」が同時に完成しました。


工房と店も、これであと10年は北国の厳しい風雪に耐えられる
exclamation
2009.9.8

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カラスの子育て
〜 総集編 〜
4月中旬
やっと雪がとけた我が家の雑木林。

白樺もモミジもクルミの木もまだ葉を付けていないけど、針葉樹の松だけは緑に被われています。

頭の良いカラスはこの「物件」を選び、3月初旬からせっせと巣づくりに励んでいたのです。


中央の木に巣作り
この木「チョウセンゴヨウ松」に巣を造っていることに気がついたのは4月初めでした。
4月25日
2羽のカラスが電線や木の枝に一緒にいることが多くなり、時にぴったり寄り添ってイチャイチャしていました。

その姿は目を覆いたくなるほどでしたが、カメラを向けるとすぐに飛び立ってしまうため決定的なスクープ写真を撮ることは出来ませんでした。

画像のカラスは少し距離を置いていますが、愛し合っている雰囲気は感じられると思います。
5月5日
巣を見るといつもと違っていました。
ちょっと分かり難いかも知れませんが、巣の上にチョコンと黒い板状のものが見えました。

母親カラスの尾羽です。この尾羽を巣から出しているのがカラス独特の抱卵ポーズ。

カラスが無事に卵を産んだことを確認し、ボクはこの夜「祝杯」をあげました。
そして、この日を境に夫婦の態度は一変しました。

父親カラスは、毎朝巣から少し離れた木の枝に止まって周囲を監視し、巣に近づこうものなら「ガァ〜」と警告するのでした。

云い忘れましたが、カラスの声は「カァカァ」がポピュラーですが、「カァカァ」と鳴くのはハシブトカラスで森や都会のビル街に棲んでいる奴。
ハシボソカラスはブトより身体は小さく性質も少し穏やかですが、泣き声だけは迫力の
「ガァ〜」なのです。
5月22日
十勝はの天気はゴールデンウィーク明けから、ず〜と「雨または曇り」寒い日が続きました。

そんな悪天候の中でも、必死で餌を探しせっせと巣に運ぶカラスの父・・・人間にたとえるなら「宮沢賢治」のようなカラスなのです

ちょっとした晴れ間に「天体望遠鏡」で覗いてみたら2羽の元気なヒナが巣から顔を出していました。
カラスの父は、3羽分の餌を運んでいたのです。
          「北海道で一番お勧めの季節は?」
とお客さんに問われると、すかさず「6月」と答えていました。
新緑の森に残雪の山並み、晴れの日が多く 「ゆっくり・のんびり北の大地を満喫できる季節」 だったのです。
                 ちなみに去年の6月はこんな感じでした。

上士幌町 十勝三股 東大雪連山 2008.6
・・・が、今年は様変わり・・・・「まるで本州の梅雨状態」の日々・・・

そんな悪天候が続き姿を見せなくなったヒナ・・・「生まれたばかりのヒナはどうなったのだろう
カラスの研究者によると、こうした天候がヒナの生存率を低下させるとのこと・・・つのる不安。

心配なので 「黒曜石でテルテル坊主を作ろうかな」 と友人に云ったら 「黒いテルテル坊主は逆効果になるから止めた方がいい」 と云われ断念しました。

6月1日
久々に晴れた日の夕方 心配をよそに巣から出てきて枝渡りの練習を始めたヒナ。

たどたどしい足取りだったし身体は小さかったけど容姿はカラスそのもの。

元気なヒナを見て安堵しました
ヒナが枝渡りの練習が始めると親の警戒心はピークに達しました。

巣に視線をむけただけで本気で急降下して威嚇するので観察を控えていたら・・・巣立ちの決定的瞬間を逃してしまいました。

しかし、考えてみたらヒナが巣から離れる時、カラスにとっては最も危険な瞬間で、他の生き物には見られたくないのかも知れません。
7月1日
巣立ったカラスの子は、今は雑木林の周辺でカラスの母と一緒に餌探しの練習に励んでいます。

カラスの父は、近くの高いアンテナに止りその様子を見守っています。

もうすぐ子ガラスは自分の力で餌を獲得することを学び、親のカテゴリーを離れ生きていくのでしょう。

「カラスの子育て」をライブで見ていて、その真摯な行動に感動を覚えました。

カラスの父と比べ、自分の子育てにはかなり手抜きがあったことを深く反省し、今宵は「反省の酒」を飲みながら「万が一もしも子育てのチャンスが訪れたら、カラスの父のように頑張ろう!」と決意しました。

今は「嫌われカラス」ですが、人間がゴミ問題を解決し、森が豊になったあかつきには、むかし歌に歌われたような 「カラスと人間の良い関係」 がもどってくるような気がしました。

      そんな思いを込めて 夕焼け模様の黒曜石(オブシディアン) にカラスを彫りました


夕焼け小焼けで日が暮れて 〜 カラスと一緒に帰りましょ ♪♪
2009.7. 2

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2009新宿御苑みどりフェスタ
〜突然ですが、首都圏で出張・販売致します〜
4年ぶりの東京行きです。

4月29日(水・祭日)、新宿御苑で開催される
「みどりフェスタ&国立公園フェア」に上士幌町観光協会の「代表」として参加させてもらうことになりました。

あまり聞きなれないイベントですが、国立公園を有する市町村が 「日本の国立公園のことを知ってもらおう」 と情報提供や関連する特産品を紹介する催しです。

そんな訳で、我が町の大雪山国立公園の宣伝を兼ねて、
「黒曜石(オブシディアン)の工芸品」も展示・販売させてもらことになりました。

折角なので、「石器づくりの実演」もちょっとだけやらせてもらうつもりです。

「2009新宿御苑みどりフェスタ」 4月29日(水・祭日) 9:00〜16:00

ぜひ、遊びにいらして下さい
2009.4.24

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定額給付金
〜お婆ちゃんの笑顔〜
日本で最初に 「定額給付金」 を受け取った青森のお婆ちゃん。

テレビ各局は、お婆ちゃんの「笑顔」を大々的に流していた。

2万円もお年玉をもらったら、誰だって嬉しいに決まっている。

でも、今回の定額給付金は単なる「お年玉」とは違う。
世論調査では国民の7割以上が  「2兆円の財源をバラまくなら、医療や社会保障や雇用の安定化のために使うべき」  と云っていた。
深刻な経済危機の中で、1万2千円でも2万円でも家計にとってはかけがえの無いお金だということは重々承知の上での意見。   ボクも全く同感である!



麻生さんは、ことあるごとに「日本は世界第二位の経済大国」と誇らしげに語るけど・・・。

豊な国への夢を託し働き続けて年老いて受け取った2万円。
もう少し安心して暮せる社会だったら・・・お婆ちゃんの「笑顔」はきっとお年玉をもらった時の様な初々しい笑顔だったに違いない。

たかが2万円、されど2万円・・・これがいつわざる思い。

2兆円のお金の使い方に異論があっても、いざ支給された時 「さもしい」 と云われ様が受けざるを得ないほど暮らしが深刻なことを、マスコミはどうしてもっと突っ込んで報道できないのだろう

「酔っ払いの記者会見」、何百万〜何億円もの政治献金を受け取って「誰から貰ったのか分からない」と云う与野党のトップリーダーたち・・・  これ以上醜態を見るのは絶えられない。




〜故竹下登総理大臣が地方の時代「ふるさと創生」と云って、何に使っても良いと一億円を自治体にバラまいた頃〜


永六輔さんがこんなこと云ってました。

【 私、東京浅草の生まれなんですが、近所に棟梁がおりました。
初めて自分でお金を稼いだのがうれしくて、中学生だった私は、それを棟梁に自慢しにいきました。
           ・・・・略・・・・
棟梁が云いました。

「稼いだお金は大事に使いな。」

「もらった金は、その場で使っちゃえ。」

「で、 稼いだんだかもらったんだか分からない性質の金ってものがある。
 これは受け取っちゃいけねぇ金だ」・・・  】
2009.3. 6

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星は夕星
たそがれ時に西の空で明るく輝く金星を、古代の日本人は夕星(夕つつ)と呼んでいた。

「星は、すばる、彦星、みやう星、夕つつ。・・・」 枕草子の一節に出てくる4つの星たち。
清少納言も、この星たちに魅了されていた。

美しさを感じる人の心は今も昔も同じだと知るとなんだか暖かいものを感じホッとしてしまう。

その夕星・金星がもっとも明るく輝くのが2月20日。
・・・地球から見える金星の最大光度マイナス4.6等になるという。

天気情報を見たら、20日は午後から雪マーク・・・

一日前だけど、今しかない

一人で行くのは勿体無いので、夕飯の支度をしていた娘に声をかけ・・・
星の写真は撮ったことが無いけれど、シャッター速度を遅くすれば最大光度なんだから写るかも知れないと例のバカチョン・デジカメを持って・・・
2人で東居辺(オリベ)の雪原に向かった。

気温マイナス10℃、光度マイナス4.6 〜 凍てつく雪原の空で見た金星は、夕星・一番星・宵の明星・西洋のビーナス、全ての呼び名が当てはまるほど美しく輝いていた。

             2009.2.19 pm17:45 地上の木々はカラマツの防風林


この夕星、東京・永田町の空でも同じように美しく輝いていたのだろうか・・・・
2009.2. 19

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あ い う え お
〜 黒曜石(オブシディアン)のペン 〜
ボクは3人兄弟の長男で下に妹2人。
末の妹は、一緒に仕事をしている相棒。

先日、神奈川在住の真ん中の妹から 「知り合いのキムタクのお母さんに
黒曜石の石器ペン」 をプレゼントしたいので送って」との注文があり送りました。

キムタクの大ファンだと云うことは前から聞かされていたけど・・・
その母親と知り合い?・・・どうも胡散臭い話しだけど注文されたので一応送ったのです。

そしたら今日、妹から

石器ペン」で試し書きした 「あいうえお」「ありがとう」 の文字が書かれた葉書が届いたのです。

作者としては、ペンとは云え石器なので使いこなせるか不安だったけど、文字を見て安堵、
しかも、なかなか個性的でいい筆跡ではありませんか

感心しながら、 「あいうえお かきくけこ さしすせそ・・・・ん」 誰もが知ってる50音、すらすら読んで相棒の妹に葉書を渡し、仕事に取り掛かったのです。

しばらくして、妹が「お姉ちゃんの あいうえお なんか変だ?」というのです。
何が変だと云うのか・・・読み返してみても別に変だとは思えないのですが・・・。

ちょうどそこに、60代の知り合いのお客さんが来たので、その「あいうえお」を読んでもらったのですが「別に変じゃない」と云いました。

で、しかたがないので、書いた本人に電話して確認したのですが、何回も練習したので「変じゃない」と云いました。

    謎が解けた時 ゛大爆笑 ゛

「あいうえお・・・ん」 まで読んで、妙な不自然さ を感じたら掲示板にコメント下さい。

ちなみに彼女は若い頃、勤務中に「タモリの笑っていいとも」の客席にいたという噂があります。
2009.2. 1

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一夜にして・・・
朝起きて、店の駐車場の変わり果てた姿をみて愕然・・・

一年で一番寒いはずなのに、昨日は
「みぞれ」が降っていました。

我が家の除雪担当者としては、雪ならどっと積もっても覚悟して除雪作業に集中できるのですが、この季節に雨みたいな雪みたいなどっちつかずの
「重たいみぞれ」は最強の敵なのです。

「人力ダンプ」でヒィヒィ云いながら除雪をしていたら、近所のSさんが重機で救援に駆けつけてくれ、なんとかギックリ腰にならずに済みました。

夕方には
「みぞれ」も上がり、除雪担当者としての任務を果たし、ご褒美に1杯やって早めに寝ました。

安堵して爆睡していた深夜・・・事態は刻々と変わっていたのです!

一日中 プラスで推移していた気温が、ありえないことに23時に最高気温(+2.4℃)に達し雪を融かし、朝方一気に急冷したのです。

   じゃ〜ん

一夜にして、ボクの店の駐車場は全面
「カーリング・リンク」と化していました。

「十勝石のミニチュアカーリング」で遊んでいる場合ではないのですが、こういう場合、とりあえず笑って楽しむしか手がないのです。

     ・・・恐るべき 地球温暖化!

2009.1.24

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雪の精の笑顔
午後から天気予報どおりの猛吹雪。

そりゃ冬だから1回か2回吹雪の日があるのは仕方ないけど、なにもこの連休に合せて来ることはないだろうが・・・それでなくても大不況で苦戦しているんだから・・・などと独り言ブツブツ。

ま、自然の営みに文句云っても仕方ないとあきらめ、閉店の時間が来たのでノレンを下ろしに店のテラスに出て 
「あれッ・・・」

真っ黒い黒曜石(オブシディアン)に彫刻した
「顔」

    吹雪の中で真っ白になって笑ってるじゃありませんか!


なんか猛吹雪を楽しんでいるみたいな「石の顔」に
チョッピリ元気をもらいシャッターを切りました。




いつもテラスに居るんだけど、今宵の石の顔は「雪の精」の様に思われました

笑うかどには福きたる♪


・・・但し、明日の午前中はまちがいなく「雪かき」です・・・
2009.1.10

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黒曜石の石器ペン
〜 おもしろき こともなき世をおもしろく U 〜
毎年のことですが、十勝平野に初雪が降ると仕事のスタイルは冬バージョンに切り替わり、新しいものにチャレンジしたくなるのです。

一昨年は「ミニ・カーリング」、昨年は「石の湯たんぽ」・・・はたして今年は

飲み友達のS蔵くんが「おもしろきこともなき世をおもしろく」と座右の銘を紙に書いた時にひらめきました。

「ペン」・・・気のせいかも知れませんが、自分の思考に文化的な変化の兆しを感じました。

人は何万年も前から、に絵や文字を彫ったり描いてきたし、顔料や染料には石の粉を使っていました。
すでに5000年前のエジプトでは、紙(パピルス)に葦の茎のペンとインクを使って文字を書いていたので、「石のペン」があっても不思議じゃないと思っていました。
ところが、いくら調べてみても人類が石でペンを作った形跡は見つからないのです。

適当なモデルが見つからないまま「羽ペン」や「金属のつけペン」「万年筆」「ガラスペン」などの形状を模倣しいろいろやってみましたが、ことごとく失敗・・・一回インクを付けて書ける文字数は精々5文字・・・
これじゃペンとは云えないと苦悩しているボクに、相棒がポツリと云ったのです。

〜「矢じりでやってみたら」〜

「冗談言うな!」と思ったものの、折角のアドバイスなので一応「やってみるかぁ〜」と、矢じりの先にインクを付け・・・ ゥウッそ〜 
書けてる!

なんと、ほとんど冗談で試したつもりが、これまで試作したどのペンよりも一番沢山の字が書けたのです。

結果的にわかったのですが、矢じりにはペンに必要な二つの要素が偶然備わっていたのです。

黒曜石の石器は、貝殻状に剥離するため平面的な研磨より遥かに表面積が大きく「表面張力」で一定量のインクを剥離面に保持することができ、剥離する時の衝撃でできる表面の細かなヒビ(放射状裂痕)が「毛細管現象」を生じさせインクを先端に運ぶことができたのです。

いろいろなインクで試してみたら
「ペン習字用の開明墨汁」がベストでした。
矢じりの先端は鋭利で欠けやすいため調整にはかなり苦戦しましたが、なんとかクリア

     
ついに「黒曜石(オブシディアン)のペン」が完成しました。

文字を書く機能ならパソコンの方が便利だし、スラスラ長い文を書くなら洗練された現在の筆記用具にはかないません。
されど、原始的な
「黒曜石のペン」で書いたたどたどしい文字には妙な懐かしさを感じるのです。

そんな訳で 〜未曾有の経済危機真っ最中〜
「こんなことしてていいのかなぁ〜」と思いつつ・・・ボクは
「黒曜石のペン」づくりに没頭しておりました。

完成祝いに一杯飲みながら黒曜石のペンで最初に書いた文字は、

もちろん   
おもしろき こともなき世をおもしろく  です。

2008.11.21

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おもしろき こともなき世をおもしろく
〜 ふたつの球体 〜
「小さな地球」を手のひらに乗せクルクル回して妄想しているうちに、やっぱり月と火星も彫りたくなってしまった。

自分自身こうなることはある程度予想していたことだし、自嘲しても止められないと思ったので「好きにやれば・・・」と自分を突き放してみたら、やっぱり作り始めた。

月は、日本の「かぐや」が精密な地形を探査中、もう少しすると完璧な地図が出来そうなので、まずは「火星」と決めた。

火星といえば赤茶色い惑星・・・工房の黒曜石の原石置き場から「赤茶色の黒曜石」を探し出し球体に研磨した。

直径3.8cmの球、ところどころに黒い模様が入っている。
本当はこの球体に、火星探査機によって作られた火星の地図を彫ろうと思ったが・・・やめた。
赤茶色の球体に現れた黒い模様がなんとも愛おしく、ボクにはそれで充分「火星」に思えた・・・。


翌日、もう一個同時平行で研磨していた直径4pの「白い模様の黒曜石の球体」も完成した。
この黒曜石は原石の時から、白い模様が地球の雲のように見えていたので完成が楽しみだった。


北半球と南極を覆っている白い模様は「地球の雲」そのもののように見える、はたして、この石に地球の大陸と海を彫るべきか否か・・・結局やめた。


夜、久しぶりに友が飲みに来た。
「最新作は何?」とのタイムリーな質問に、テーブルの上に「手のひらにのる地球」と「赤茶色と雲模様の球」を三つ並べ披露した。

テーブルには、酒と肴と3個の球体・・・友は「小さな地球」を手の中でクルクル回し・・・

   「おもしろき こともなき世をおもしろく」 〜 by高杉晋作 〜 と一言。

なんかすっごくいい気分になり、地球を肴に深夜まで飲み明かした秋の夜長。

2008.11.1

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それでも地球は回っている
アメリカ発の「金融危機」なるものが、何の関係も無いボクらの暮らしを脅かしている理不尽さに、只今怒り心頭なのであります。

今だから云うけど、きっとこういうことになるだろうと、あの時予想してました。
あの時です
純ちゃんと平蔵くんが「改革には痛みが伴う」とかなんとか云って、時のヒーロー・ホリエモンと選挙カーに乗ってニコニコしていた・・・あの時

「金融危機」とか「恐慌」とか難しいこと云っているけど、冷静に考えたら、極一部の金持ちと金融資本が泡銭を稼ごうとして・・・人間の生存に欠く事のできない「食糧」「エネルギー」資源をもて遊び、マネーゲームに失敗しただけじゃないですか


規制を取っ払って好き勝手にやらせておいて、失敗したら公的資金・・・それって結局ボクらの税金でしょ。今だってヒィヒィ云っているのに、そんなツケまで回されたらたまんないよ。

そんな訳で とにかくボクは怒りまくっております!


とりあえずではありますが・・・この怒りを治めるには、カルシウムの温泉に浸かるしか手の打ち様がなく、東大雪の秘湯中の秘湯「ホロカ温泉・鹿の谷」に行ってきました。
あっ、ホロカ温泉って云ってもメジャーじゃないから皆さん知らないと思うけど、ここの湯はナトリウム泉、鉄鉱泉、硫黄泉、カルシウム泉の四種類が別々の湯船に注いでいるのです。もちろん混浴♪

湯主は70過ぎのとても穏やかな方で、ボクはその女(ひと)のフアンなのです。
風呂上りにコーヒーを頂きながら、チョットだけおしゃべりをしてくるのです。

湯主の老女将曰く

「ガソリンが上がってからお客さんはめっきり少なくなってしまった。
でもね、長い間やってると良いことも、悪いこともあるのよ。このお湯が好きで来てくれる方がいるかぎり、私はこのお湯を守るの・・・こういう時は、ジタバタしちゃダメなの!

いいなぁ〜無駄に歳をとってない人の 「ひとこと」 って・・・。


〜それから一週間〜
ジタバタせず仕事に打ち込み・・・「手のひらに乗る小さな地球」は完成
しました

仕事を終え一杯飲みながら、手の中で直径5cmの地球をクルクル回すと、意外にもいろんなことが脳裏を過るのです。
もし地球がこの大きさだったら、月は何メートル先に浮かんでいるのだろう?

計ってみたら、月は地球から1m50p離れたところで、ビー球位の大きさで浮かんでいるのでした。

そう思うと、アメリカってすごいことやったんだなぁ〜、39年前にアポロで人間を月に送って無事に帰還させたんだよなぁ〜アメリカもやれば出来たじゃんなどと素直に感心してしまったりして。

さらに、手のひらで地球を転がしていると、しだいには宇宙飛行士の気分になり・・・
表面のほとんどが海だなぁ、陸地はたった29%、北海道なんて点だけど、国境線の無い地球って素敵だなぁ〜とか。

宇宙船の高度を上げて、東アジアを見渡ながらここに世界の人口の半分以上の人間が暮らしているんだぁ〜と、妙にアジアが誇らしく思えたり、半回転させて裏側に回ると、身勝手なUSAに反旗を翻し今や元気一杯の南米の国々〜電子顕微鏡でも人間の存在は確認できそうも無いけど〜真面目に頑張っている世界中の人々の息吹を感じたり〜するのです。

そんな妄想をしているうちに酔いもまわり、結局「金融危機」対策については何の妙案も浮かばないまま・・・秋の夜は更けていくのでした。

仕事も暮らしも大変だけど・・・
「それでも地球は回っている」・・・とガリレオの呟きが聞こえたのはきっと宇宙酔いのせいかも知れません
2008. 10.14

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ドングリ・コーヒー
8月の寒さが嘘のようにポカポカ陽気が続いた9月・・・もしや温暖化のせいで秋が無くなってしまうのでは・・・と思っていたら、24日突然寒気が到来し大雪山に初雪の知らせが届き、茶色く実ったドングリが地上に降りました。
エゾリスのシェーンがドングリを拾いにくる前に、70個ほどおすそ分けをしてもらい「ドングリ・コーヒー」づくりにチャレンジしたのであります。
もちろん初挑戦なので試行錯誤・・・。
70個って多そうに思えるでしょうけど・・・4杯分なのです。

ドングリの渋は並みではないのでアク抜きはかなり大変だと思っていたら、その前にもっと大変なことがありました。
それは、ドングリの硬いカワを剥がすこと・・・親指の爪で剥がすのですが、終わった頃には親指の爪の間は充血しておりました。
そのドングリの実を、黒曜石の剥片ナイフで5〜6枚くらいにスライスし、アクを抜くために水に浸けること5時間。


生のまま食べてみたら、ほぼ渋味は抜け甘美を感じるくらい・・・へえぇ〜ドングリって生でも結構いけるって感じでした。
で、今度はそれをザルにあけて水を切り、一昼夜天日干。
カラッカラに乾いたドングリをホットプレートで煎ること30分、コーヒーミルで粉にしコーヒーを淹れたのであります。
大量生産・大量消費に慣らされた身に、たった4人分のコーヒーを淹れるのにこんなにも手間暇が必要なのかと痛感し・・・

・・・自然の恵みに感謝しながら

ドングリ・コーヒーを頂いたのであります!



で、肝心のお味はどうだったの?
 
タイムリーなご質問痛み入ります!

ドングリ・コーヒーってほんのり甘味があって、美味しいとか美味しくないとかの次元をはるかに超えていて・・・もう一杯飲みたいと云ったのは一人、あとの三人は一杯で満足した雰囲気がありました。
ただ、4人に共通していたのは・・・「木の味がする」でした。


ところで、ドングリの実をスライスしていて知ったんだけど、14個のドングリの中に「モスラの幼虫」みたいなのが住んでいました。
70個のうち約2割のドングリの中で幼虫が実を食べて成長している訳で、我が家のドングリは、メタミドホスにもアセタミプリドにもメラミンにも全く汚染されていない安全食品だということが証明されたのです。

実を食べつくした「モスラの幼虫」は殻に穴を開け外に出て行きました

採取から飲食まで、真摯にドングリとつきあったせいもあって、これまで以上にドングリが愛しく思え、この秋の新作
「黒曜石ドングリのペンダントとペンデュラム」を作ることになったのであります。
2008. 9.29

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ドングリと遊ぶ元気くん
暑い日がほとんどないまま、十勝の夏はあっという間に過ぎ去りました。
結局、8月に「ちゃんと晴れた夏日」はたった5〜6日。

異常に暑かった去年、工房の雑木林のミズナラのドングリは
凶作だったのに、今年は何故か大豊作なのであります。

木は環境の変化に敏感に反応して果実や種子の量をコントロールしているって話、噂では聞いていたけど、ホントかも知れない・・・。

以前、たまたま観ていたテレビで、ユニセフ大使のトットちゃんが「戦争や食糧難で生存が脅かされているアフリカで人口が爆発的に増えているのは、種を守ろうとするの本能が働いているためではないか?!」と云っていたことを思い出してしまった。

天候不順なのにドングリが豊作・・・妙に気になるけど・・・
期待もふたつほどあるのです♪

そうです!
去年の秋から冬一度も顔を見せなかった野生のエゾリス「シェーン♀」がカムバックしてくれる予感がするのです。


カメラ目線のエゾリス「シェーン」

もう一つの楽しみ、ドングリをちょっとだけおすそ分けしてもらい、煎じて
「コーヒー」を入れてみようと企んでいるのです。
ドングリ・コーヒーは、苦そうだけどきっと縄文の香がするに違いないと思うのです。


そんな訳で、夏の終わりのツーショット「ドングリと遊ぶ元気くん」


・・・この秋は楽しくなりそうな気が・・・
2008. 9.6

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幻のアーチ橋 2008夏
〜タウシュベツ橋梁〜
来店されるお客さんから、「タウシュベツ橋を見に行きたいのですが、まだ見られますか」 と時々聞かれます。

そうなんです。
この橋については「どこにあるのか?」ではなく、「まだ見られるのか?」どうかが問題なのです。

今から70年ほど前造られ旧国鉄の廃線後、糠平湖に放置されたコンクリートアーチ橋、湖の水位によってその姿が見え隠れすることから「幻の橋」と呼ばれているのです。

糠平の原住民の話では「ダムの水が少ないのでバッチリ見えているよ」とのことだったので、お客さんの質問にもそう答えていました。
が、7月24日に我が町は観測史上最高の1時間に43oの集中豪雨にみまわれ、にわかに心配になり現地を視察をしてきたのでありまする。

    御安心下さい。

  タウシュベツ・アーチ橋は、その優美な姿を湖面に表しておりました。

それにしても、例年ならこの時期は観光客で賑わっているのですがこの日は意外と静かでした。
やっぱ
ガソリンの異常な値上がりでドライブを控える方が多いのかも・・・。

この景観は「背後に
ヒグマの気配を感じながら一人静かに浸りたいので今年はいいなぁ〜」と思っていたら、若いカップルが近づいてきました。

な・なんとその女性・・・
ハイヒールではありませんか・・・ここは大雪山の中でも有数のヒグマの生息地、旭山動物園ではないのです。


    ・・・こんなところを・・・

この場所で 
ク・クマ・・・!」 と声を発し走ったら結構効果あるよ・・・と友だちが云っていたのを思い出し、すれ違いぎわにそれやってみました。

その結果は?・・・ご想像どおりですので細目は省略します。

吾ながら、ちょっと意地悪でしたが・・・大雪山の森に入る時のファッションは、
ハイヒールより長靴の方が絶対お洒落だと思うのです。

今年のタウシュベツ、静かなのは良いのですが・・・
鉄路をズタズタに切り裂かれてしまった北海道の暮らしに
ガソリンの高騰は辛いなぁ〜
2008. 8.3

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オンネトー・ブルー
ガソリンがどんどん値上がりするので、車での外出はできるだけ避けていたんだけど、ついにガマンの限界に達し、たまにはストレス解消しないととチョッとだけドライブ。

7月に入って北海道はまるで梅雨のような天気が続いていて、この日も小雨、気温18℃。
雨のオンネトー(アイヌ語で老いた湖)は、意外と神秘的なのではと決め込み出かけたのであります。

上士幌町から阿寒に向かって車で1時間20分、観光で来られる方はガイドブック通りに国道241を走るのですが、途中足寄町ラワンという集落から林道でオンネトーに向かう、これが通のコースなのです。
この道の途中には「シオワッカ」と云う奇怪なドーム。
その先には「ラワン蕗」と呼ばれる身の丈2m〜4mにも成長する巨大な蕗の群生地があるのです。


この蕗の下に入ると「コロポックル・蕗の下の神様」の伝説を実感できます。


僕には、この地帯が不思議な空間に思えてしかたがありません。
シオワッカドーム、実はドームの上から流れ落ちる冷泉の炭酸カルシウムが沈殿して出来たもの。
しかも、春にはファテライト、夏にはモノハイドロカルサイト、冬はイカアイトという三種類の炭酸カルシウム鉱物が生成されるという世界でも稀なドームなのです。
難しいことはさて置き、ドームの形が「ゴジラの頭部の化石」に見え心ときめきます。
で、しばらく走るとアスファルトの舗装は終わりダートな山道、そこを抜けきると北海道三大秘湖のひとつ「オンネトー」なのです。

で、雨の日でもオンネトー・ブルーは見えるのか?

指定された展望スポットからは「霧の摩周湖」状態。
ですが、一ヶ所だけ雨が降ろうが霧が舞おうが、見える場所があるのです。
             
ここです!

2008. 7.27

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ド派手な種まき
in ナイタイ高原牧場

我が工房から車で10分ほど走るとナイタイ高原牧場があります。
久しぶりの好天だったので、仕事を始める前に牧場の展望台に行ってきました。

ナイタイとはアイヌ語で「奥の深い沢」と云う意味、レストハウスのある展望台からは、裾野に広がる牧場の起伏にとんだ景観美と雄大な十勝平野を望むことができます。
あっ、肝心の牛たちも豆粒くらいには見えます。

この牧場の使命は、道内と本州各地から送られてきた約3000頭の若い牛たちを一人前の牛に育てること。
自然放牧される牛の餌は牧草・・・その種まきに欠かせないのがこのヘリコプターなのです。

大きなバスケットに牧草の種をつめる人、空中散布を終えホバリングしているヘリにバスケットを装着する人、そして確実に目的の場所に種を蒔く腕利きのパイロット、直近で見ていたらそれは迫力満点・・・。
総面積1700ha、東京ドーム362個分の広い牧場でのびのび育った牛たちが、せめて悪徳な食肉業者の手に渡らないことを願ってしまいました。
この夏、十勝に旅する際にはお勧めのビューポイントです
・・・ついでに「十勝工芸社」にも寄って下されば大歓迎です
(^o^)

ナイタイ高原牧場は「
ひがし大雪旅のご案内」のページでも紹介しております。
2008. 7.1

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青く光る黒曜石の原石
6月、北海道の自然が最も映えるこの季節大好きです。
残雪の山並みと新緑の淡い緑がとても美しい北海道・・・北海道旅行で一番お勧めの季節は? と問われたら迷うことなく6月!と応えています。

そんな清々しい季節を迎えたと云うのに、どうも最近、頭と体の調子が今一スッキリしないのです。特に持病があるわけでもないし・・・原因を探ってみたら思い当たることが二つ。

一つは、夜遅くまで酒を飲みながらのパソコン作業。
二つ目は、最近の日本の暗い雰囲気。

原因の二つ目は、個人の力じゃ解決できないので、とりあえず自己責任の部分にメスを入れることを決断。
但し「断酒」は、より体調の悪化を招く恐れがあるので継続とし、まずは「早寝早起き」と「早朝ジョギング」を始めることにしました。

そんな訳で「早朝ジョギング」も今日で3日目、規則正しい生活をすると良いことがあるものです

ジョギングを終え「黒曜石の原石」置き場から今日使う石を選んでいたら・・・あったのです。
早朝に降った雨にしっとりと濡れた黒曜石。

その中の一つが、朝日を浴びて青い色光を放っていたのです
乾いた状態の原石 〜灰色
水に濡らすと 〜真っ黒
水に濡らし強い光を当てると
〜内部の青い色光が浮かび上がります

キズがかなり深そうで不純物も見られますが、久々に手にした「十勝石玲瓏

この原石を眺めながら飲む酒は格別な味がするにちがいありません。
果たして今宵、この強烈な誘惑から逃れ深酒せずに早く寝ることができるか否か?・・・それが問題です。

それにしても、体調を崩すもう一つの原因・・・最近の
暗い日本の雰囲気・・・異常な諸物価の高騰、後期高齢者の医療問題、税金の無駄遣い等々・・・真面目に手を打ってくれないと困るんだよねぇ〜。

※アメリカやメキシコで産出する黒曜石の中にもこのような色光を放つ石があり、レインボー・シーン・オブシディアンと呼ばれています。
2008. 6.8

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縄文人の模様編み
〜僕らの先祖はお洒落だった〜
新聞の記事を読んでも、テレビのニュースを観ても暗い話題ばかりでうんざりする毎日。

楽しい話はないものかと思いながら手にした「北海道新聞」2008.4.25付の一面に
       〜縄文後期の布〜国内初の「模様編み」〜
の見出しと写真が飛び込んできました。

記事によると、北海道恵庭市の柏木川4遺跡で出土した3,200年前のこの布、縦糸と横糸を絡み合わせた
「もじり編み」という高度な技術で、横糸に団子状の模様や太い横糸に8本の縦糸を編みこむなど・・・縄文人の生活技術の高さを証明する貴重な資料・・・と紹介されていました。

2008.4.25北海道新聞
子供の頃に畑で拾った黒曜石の「矢じり」を手にしたことがきっかけで石器づくりに挑戦し、縄文人の技術にはいつも圧倒されていましたが、この予想以上の「模様編み」の技術と感性には脱帽です

きわめて精巧に加工された石器、燃えるような情念を形にした火焔式土器土偶、そして今回発見されたお洒落な布・・・。

遥か昔に祖先が作った物を見聞きする時、自分の中の「縄文の記憶」が少しだけれど呼び戻され、日本人でよかったなぁ〜と思ったりするのです。

もじり編みの布で作られた縄文人の服はきっと素敵なデザインだったに違いないし、その胸元には「漆黒に光る黒曜石のペンダントが!」・・・などと勝手に妄想しながら今宵も一杯やっています。


ちなみに ゴロ番222,222 ただ今大接近中 「黒曜石のペンダント」はどなたのもとに・・・。
2008. 4.27

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怒りのカムイ
〜シマフクロウ〜
黒曜石(オブシディアン)で作品を作るときの原石の選び方には、二つのパターンがあります。

一つは、作りたいものが先にあって、それに適した原石を選ぶ。もう一つは、原石を手にしてから作るものを決める。

今年は、異常に雪融けが早く3月の初旬には工房の原石置き場の雪も完璧に融けてしまいました。
半年振りに現れた原石たちの中から・・・手に取った「こげ茶色の黒曜石」・・・。

出っ張りや窪み、石肌は荒々しくあまり加工に向かなそうな原石なのに妙に威厳があるのです。
いくら気になっても、こういう時はとりあえず何日か手元において眺めているしか手の打ち様が無く・・・。
仕事を終えて「ほろ酔い気分」で石を見みていたら、なんとなく石にシマフクロウを感じました。
     〜しかも、かなり怒っている奴〜

北海道を代表するフクロウは二種類。穏やかな表情の「エゾフクロウ」、威厳のある「シマフクロウ」。
どちらも甲乙付けがたいのですが、この石に彫るのは「シマフクロウ」と決め、荒削りをはじめました。

もちろん、無機質の石が「怒る」なんてことはあり得ない話ですが、この荒削りの段階でこの石は怒っているように感じました。
今思えば荒々しい黒曜石は、ボクの心境そのものだったのだろうと思っています。

ガソリンの暫定税率、税金の無駄遣い、物価の高騰、毎日報じられる異常な事件、北海道にカジノを誘致しようとしている道知事、若者たちの不安定な雇用の有り様、それらを真摯に解決しようとしない政府・・・あげればキリがなく、このコラムを読んで下さっている皆さんの気持ちもきっと同じだろうと思っていますが・・・
なによりもキレたのはボクと妻に送られてきた「ねんきん特別便」・・・。

その記録には、初めて就職した時の年金記録が夫婦そろってすっぽり抜けているのです。

名前の読み違いとか、結婚したりして抜けたのならまだ許せるけど、
若き日のボクが「夢と不安を抱き上京して初めて得た給料から保険料を支払った記録が消されていた・・・これは論外もいいとこ・・・社保庁を甘くみてました。
・・・世界第二位の生産力を自賛していたこの国は、この時からずーと働く者を舐めていたのかと思わざるを得ませんでした。

そんな訳で、この黒曜石のシマフクロウは思いっきり感情をぶっけて彫りました。


今宵は「カムイ」に睨み付けられながら一杯やっております。

4月に入って季節外れの雪が降りました。
それでも、薄っすらと雪化粧した庭の片隅に
「フキのとうの蕾」が顔を出し春の訪れを告げてくれました。

2008. 4.5

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死ぬかと思った
〜冬の爆弾低気圧in札幌〜

死ぬかと思った。
信じてもらえないかもしれないけど・・・。
一週間前の、2月23日、爆弾低気圧が北海道を直撃した。

よりにもよってこの日息子の引越し応援のため札幌に向かったのです。
テレビのお天気情報は「午後から北海道の日本海側は暴風雪」との予報だったので出発前から嫌な予感がしたが、「今日の引越し中止しよう」とは云い出せなかった。

上士幌を出発する直前に、妻が神妙な顔をして「お父さん・・・」と切り出した・・・。
もしかしたら、ボクの身を按じ・・・「今日はやめた方が良い」などと云うのかと思ったら、「お父さん、念のため
スコップ積んでいった方がいい。」だった。

9時15分、ボクは爆弾低気圧に向かって国道273を走り出した。
糠平温泉〜三国峠〜層雲峡温泉〜旭川市・・・雪は降っていたが並みの冬ドライブ・・・。
札幌に近づくにつれ次第に雪は激しく風は強くなったが、なんとか息子のアパートに無事たどり着いた。
時計を見たら15時30分。

アパートには息子と友人が待機していて、吹雪がひどくなりそうなので今のうちに荷物を車に積んでしまおうということになり、休む暇なく荷物の搬出をやり切った。

吹雪の中の引越し作業は、かなり体力を消耗し3人とも喉はカラカラ腹ペコ状態、しかし、荷物をすべて搬出した後の部屋には何も無いわけで、よせばいいのに札幌の中心部に飲みに行ってしまった。

モツ鍋を囲み、この春大学を卒業する息子と友人の「夢と悩み」を聴き超ほろ酔い気分で店を出たところから地獄が始まった。

アパートに帰るための交通機関はマヒ、とりあえず乗り継ぎながら最寄の駅まで行きタクシーを待つこと1時間(気温マイナス4度)・・・やっとアパートの付近までたどり着いたら、降り積もる雪の除雪が追いつかず路地のあちこちで乗用車が吹き溜まりの雪に突っ込み救助を求めているのでありまする。
「視て見ぬふり」をして通り過したかったのは山々でしたが、救援を求めている
若い女の子と目が合ってしまい・・・。

苦闘の末無事に救出した時には、酔いは完全に覚め、やむなく近くのコンビニで焼酎を買って飲みなおし寝たのです。

朝起きて、さあ上士幌に帰ろうと駐車場に行くと愛車は雪の中・・・。
このあとのことは書く気にもなれません。

通常5時間で帰れるところ8時間もかかり、自宅に着いてテレビのニュースを見たら、60台近い車が雪に埋もれている映像が流れていました。

本来なら証拠の猛吹雪の画像もお見せしたいところですが「自分が死ぬかもしれない」そんな時に写真なんか撮れるワケないのでありまする。

北海道の春はまだまだです。

2008. 3. 1

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バカだって風邪をひく

どうなっちゃったんだろう・・・

東京では雪が降っているというのに、北国のわが十勝は雪が全然降らない。
ただ今当地、
1900年(明治33年)帯広測候所の統計開始以来、日照時間最長記録を更新し続けております。
まとまった雪が降ったのは年末の29日1月24日の二日間だけ、朝チラチラ降る日はあっても、すぐに晴れてしまうのです。

雪かきをしなくていいから、いいと云えばいいんですけど・・・放射冷却現象でガンガン冷え・・・空気は乾きまくり湿度31%、カラッカラに乾燥してます。

明治33年といえば、たしか日清・日露の戦争やっていた伊藤博文公の時代・・・
要するに、現存する十勝人は生まれて初めてすっごい体験をしているわけです。


そんな思いで仕事をしていたせいか、脳が乾燥しすぎたせいか・・・この石を磨いていて
「ついに幻覚が現れたか!」・・・と焦りました。


            白い雲のように見えるのは天然の黒曜石(オブシディアン)の模様です

黒曜石(オブシディアン)に白い模様が入いることは、たま〜にあることはあるのですが、磨き上がった石の模様はまるで「気象衛星から送られた雲の画像」そのもの。

石に日本列島を重ねてみたら、わが十勝は晴れ、関東は雲に覆われ、能登半島沿岸に台風なみの低気圧・・・・・微妙に地球の異常気象風の作品が完成したのであります。

作業していた時は夢中だったのでさほど気にならなかったのですが、朝起きたら咳とくしゃみと倦怠感・・・。
2004年11月2日以来苦節3年3ヶ月〜「バカは風邪をひかない」〜という定説を覆し、ついに念願の「風邪」ひきました。


地球はついに「バカも風邪をひく時代」に入りました。

「餃子事件」「ガソリン税問題」も大事なんだけど、できれば国会もマスコミもこの異変にもうちょっと関心持ってもいいんでないベか (北海道弁)・・・と思う今日この頃。

皆様方のご健勝お祈りいたしております。

ちなみに、今宵の我が家の夕食は「風邪をひいたお祝い」に北海道産食材100%の手作り「餃子」でした。


      追伸  気象衛星が写した今日(2.9 AM11:00)の雲の様子・・・なんか似ている
2008. 2.8

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石は暖まったら冷めにくい
〜 灯油なんかに負けるもんか 〜

まいったなぁ〜。
地球温暖化なんだから、今年は多少暖かい冬になるのではという予測は甘かったです。

理解してもらえないかも知れないけど、ここ十勝地方は雪が降ると暖かく、晴れていると放射冷却現象でガンガン冷えまくるのです。
で、年末の29日に20cmほど雪が降ったのを最後にずーと晴れまくり最低気温はマイナス15℃前後、昼間でもマイナス5〜7℃・・・。

もちろん工房での作業中はスキーウェアーを着込んでいますが、直径30pの換気扇3機がフル回転しているので石の粉塵は取り除かれるのですが、それと引き換えにマイナスの冷気に室内は満たされるのです。

こう見えても、作業中は雑念を振り払いほぼ「無心」に近い状態になっているのですが、極端に暑かったり、寒かったりすると妄想に取り付かれてしまうことがあります。

たしか「元気くんを氷の上に乗せ氷没?させる実験」も十勝で滅多にない34℃の猛暑に襲われた時でした。


回想   2007年夏 気温34℃ 氷に沈む元気くん


で今回は気温が下がり灯油がどんどん上がる異常事態、零細企業の社長としてなにか手を打たなければと思った瞬間、
「湯たんぽ」が脳裏をかすめたのでした。

寒い冬の夜布団の中で誰もが抱きしめていたであろう・・あの可愛い「湯たんぽ」

そんな訳で2008年初頭、新作はオブジェ
    「湯たんぽ型・黒曜石カイロ」
になりました。

石はいちど温まったら冷めにくく、遠赤外線も出るみたい、ましてや黒曜石(オブシディアン)のルーツは熱いマグマなのです。


そんな
小ちゃな「黒曜石の湯たんぽ」をストーブの上に置いてじっくり暖め、布の袋に入れて手のひらで握り締めたら、とっても懐かしい暖かさを感じました。

ただ、この「湯たんぽ」、暖めるために結局石油エネルギーを使わざるを得ないのがなんとも悔しい限りではありますが・・・。

    寒中お見舞い申し上げます!
2008. 1. 13

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黒曜石の月から見た地球

「地球を離れて、初めて丸ごとの地球を一つの球体として見たとき、それはバスケットボールくらいの大きさだった。それが離れるにしたがって、野球のボールくらいになり、ゴルフボールくらいになり、そして月から見た地球は大きめのビー球の大きさになってしまった。

はじめはその美しさ、生命感に目を奪われていたが、やがて、その弱々しさ、もろさを感じるようになった。
宇宙の暗黒のなかの小さな青い宝石。それが地球だ!」・・・・・・。

     
〜アポロ宇宙飛行士、地球を語る〜 「月の神秘」(野本陽代著)より抜粋


11月7日14時52分「かぐや(SELENE)」が送ってくれた地球の映像は、アポロ宇宙飛行士が語った言葉どおりでした。

以前から、その光景を黒曜石に彫刻したいと思っていました。
「地球」になってもらうための「青く光る黒曜石」の小さな原石は大切に保管していました。

「JAXA」から配信された「月の北極からみた地球」の鮮明な画像に欲求を抑えきれず、ついに無謀な挑戦を開始してしまいました。


一週間の苦闘の末、やっと完成した「黒曜石の月から見た地球」

今宵は完成を祝い、゛かぐや゛と二人で「地球見酒」に酔いしれる予定です。
  ちなみに、黒曜石の地球の直径は17mm レインボー・オブシディアンです。
2007. 11.22

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雪 虫
今年の紅葉は例年に無くロングランでした。
9月の下旬 大雪山から始まった紅葉、一ヶ月以上もかけゆっくりと十勝平野に移動し、我が工房の雑木林のクルミや白樺を真っ黄色にモミジを真っ赤に染め、深まり行く晩秋を楽しませてくれました。

日々の移ろいを何とか写真に残そうと頑張ったのですが一枚も良い写真はとれず・・・(-_-;)
ついにモミジが散り始めたので最後の一枚を写そうと外に出たら、「雪虫」が舞っていました。


北国で暮らすものにとって、冬の到来を告げる「雪虫の舞」はロマンチックでもあり切なくもあります。

雪虫は、雪が降る前にトドマツの木からヤチダモの木に移動するために飛んでいるのですが、移動している最中にどこか別の場所に着地するとワタのような白いふわふわがくっ着いて動けなくなり、その雪虫の生涯は終わってしまうのです。

ちょっとかわいそうだったのですが、一匹の雪虫が偶然にもボクの服に着地してしまいました。
そんな訳で心の中で「ごめん」とつぶやきながらシャッターを切らせていただきました。



ついでですが、以前散歩していた時、口の中に雪虫が飛び込んで来たことがありました。
この季節に北海道を訪れ幻想的な雪虫の舞に遭遇した場合、口は必ず〆てごらん下さい。
2007. 10.28

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紅葉と法要

お寺の住職に「親父の13回忌の法要、早めにやってもいいかい?」と相談したら、「いいよ。」と言ってくれたので5ヶ月も遡って黒曜石の原産地である東大雪山・糠平温泉で執り行いました。

自然と黒曜石と酒をこよなく愛していた父を偲ぶには、この季節、この地での宴が一番の供養になると勝手に思い込み、直系の親族11人のみで質素に執り行ったのであります。

で、兄弟と姪っ子、甥っ子たちに「参列するにあたり、自分が最も好んで飲んでいる酒を持参するように。」とメッセージを出した結果、ごらんのような有様となったのであります。


酒飲みの親父の血は見事に子孫に受け継がれ、温泉民宿「山湖荘」囲炉裏料理を肴に供養の宴は大いに盛り上がったのは言うまでもありません。

翌朝目覚めると糠平温泉のモミジは一層鮮やかに街を彩り、大雪山の紅葉はまるで油絵で描かれたごとく美しい景観を魅せてくれました。

人工物を寄せ付けない広大な大雪山の紅葉、写真では部分しか写らず再現不能・・・不本意ではありますが一応カメラが捕えた大雪山の紅葉のひとカケラを掲載いたしました。

それにしても、今年の大雪山の紅葉は10年に1度みられるかどうかの一級品でした。

法事をきっかけに、遠方から集まった故人の「孫たち」が圧倒的な大自然の美しさに深く感動していたことが、なによりの供養だったと思った次第です。
2007. 10.13

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究極の三次元ジグソーパズル

遺跡から出土した何万点もの「黒曜石のカケラ」を組み合わせ、元の原石の形に復元する作業をしている友人が、「ジグソーパズルは二次元の平面的なものだけど、石器は上下左右に前後が加わる究極の三次元パズルだ!」と云っていました。

どっちかというと、ボクの場合は石器を作るために原石をバラバラにしている立場なので、こういう地道な仕事をしている人には頭が下がる思いです。

もちろん、「石器接合」の資料からは古代人の「石器製作技術」のヒントが得られるのでとても感謝しています。


石器接合 参照画像
北海道埋蔵文化センターだより
 第8号
  
その「石器の接合は究極の三次元のジグソーパズルだ!」に心動かされ、黒曜石の円礫でジグソーパズルを作ってみました。

売り物ではないのですがこのパズル、店を訪れたお客様(一部)にバカ受けしているのです。

店内になにげなく黒曜石のカケラを置いているだけなのですが、「なにコレ?」と質問されるとすかさず説明し、パズルに挑戦してもらっています。


たった9個の石のカケラを元の原石に復元する・・・簡単そうで意外と難しく、知的能力より動物的な感性が求められるのです。

そして結構ハマルのです!

ちなみに「黒曜石三次元ジグソーパズル」の完成に要した時間

〜これまでの記録〜 (2007.9.22現在)

最短記録 2分40秒
最長記録 18分
平 均  約4分

この秋ご来店の際、チャレンジご希望の方は店員に一声おかけ下さい。

ただし、途中で職務を放り出すタイプの方はご遠慮下さい。
2007. 9.22

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黒曜石は天然のガラス

黒曜石(オブシディアン)の原石を高温で熱したら「発泡化」したことを前回書きました。
そうしましたところ、黒曜石の世界のファン?の方から熱いメッセージを頂きました。
「黒い石が発泡し白くなることに驚きましたが、一体その表面はどうなっているのでしょうか?」
鋭い質問!
実はボク自身、噂どおり「発泡」したことに感動し石の表面がどうになっているのかじっくり見ていませんでした。

「よぉ〜し、それならもう一個発泡化させて、表面の状態を調べてみよう!」と
やる気の神様が舞い降りてきたので即実行。

第二作目の「発泡黒曜石」はこんな感じになりました。


で、昔勤めていた職場の恩師から退職記念に頂いた ルーペ を取り出し、発泡化した黒曜石の表面の形状をくまなく観察しました。


な・なんと、肉眼では白い泡にしか見えないのですが、ルーペ を通して観た泡の構造はすっごく神秘的。


 〜 それはまるで「ガラスの惑星」のようでした!〜

黒曜石が「天然のガラス」だということをあらためて認識させられた次第です。

2007. 9. 1

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白い恋人?

道産子はとにかくジンギスカンが好きで、花見はもちろん、友人や親戚が来たらジンギスカンで盛り上がるのです。
当然、お盆などは、毎晩どこからともなくあのジンギスカンの匂いが漂ってくるのですが。
それが、この夏 匂いも気配もほとんど感じられませんでした。

なぜこのような深刻な事態になったのか・・・
ボクの推測では、「地球温暖化」の影響ではないかと思われます。

なんせ、
812日〜1534.2をピークに突然の猛暑が4日間も続いたのですから・・・。
40℃以上の猛暑に苦しめられている内地人からみたら、「ふざけんな!」と怒鳴り付けられそうですが、寒冷地仕様の北海道民が受けた衝撃は、本州温度に換算すると40℃超に匹敵したのであります。
いくらジンギスカンが好きだといっても、あの暑さの中でさらに
火を熾すなどということは狂気の沙汰だったのです。

しかし事態は一変。

8月16日は正午だと云うのに気温は18.3まで急冷、夜には13まで下がってしまったのです。

お盆期間中の最高が34.2℃、最低が13℃。その差21.2℃。
この時ばかりは、このまま冬に突入するのではないかと不安になり、猛暑とはいえ高値安定した本州が羨ましくさえ思えました。

〜8月23日〜
急に寒くなってしまったので、野外でジンギスカンが出来ずに夏が終わると焦りまくっていたら、偶然にも本州の親戚から「生鮎」が届きました。

当然この夜、我が家は全会一致で今年初めての「鮎&ジンギスカン野外パーティ」を執り行ったのであります。
大いに盛り上がったのは云うまでもありませんが、あっと云う間に、鮎とジンギスカンを食べつくした時に気温は
15℃まで下がっていて、妻と娘は「寒すぎる」と云ってそそくさと引き上げてしまいました。

これからがボクの時間・・・やりたいことがあったのです・・・。

残り火に炭を足し、火中に直径
5cm程の黒曜石円礫を入れたのです。

  

黒曜石
を高温で熱したら「発泡化」するという話は聞いていましたが疑心暗鬼、いつか自分で試してみたかったのです。

チビチビ酒を飲みながら、ウチワで炭火に酸素を送り続けること
時間半・・・。

黒曜石の原石は真っ赤に燃え、やがて3倍以上に膨張し、ついに白いワタ菓子のように変化したのです。

後頭部あたりから ♪ しろい こいびと〜 ♪のメロディが流れましたが命名するのはやめました。

灼熱の炎の中でからそして白くなっていった黒曜石はまるで「星の一生」を見ているようでした。

もうすぐ大雪の山々には、純白で汚れのない本物の
白い恋人が舞い降りてきます。
2007. 8.26

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青く光る黒曜石

つぶらな瞳にもにた漆黒の貴石、いつ誰がこの石に「黒曜石」と名付けたのか未だわかっておりません。

黒曜石のは「かがやく・光」の意味・・・、いつもこの石を手にしながら、命名した先人の感性と日本語の表現力に感心させられます。

ところで、確かに黒曜石は通常
真っ黒な石なのですが、東大雪・上士幌から産出する黒曜石の中に、極めて微量ですが、青やピンク、紫など神秘的な色光を放つ石があり、地元では「十勝石玲瓏(れいろう)」と呼び珍重しています。

夏休みに入って最初の日曜日だというのに、台風5号の接近で大荒れの5日。
来客も無くボーっと外を眺めていると、外に出して置いた「剥片」の一枚が雨に濡れ
青く光っているではありませんか。

まさしく「十勝石玲瓏」、しかもその中でも極稀にしか手にすることができない
「青く光る黒曜石」


沈みかかっていた気分は一気に解消し早速「ペンダント」の制作に取り掛かったのであります。
完成したら 「ギャラリーの一隅から」のページでご紹介致します


 ※ 和名の「黒曜石」は、英名では「オブシディアン」と呼ばれています。
2007. 8.9

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幻の橋〜タウシュベツ橋梁の秘密〜

2007.7.18 現在

休みが取れたので久しぶりに糠平湖の北端「タウシュベツ」に行ってきました。
ここでは、幻の橋と呼ばれる「タウシュベツ橋梁」を見ることが出来ます。

1936年頃に作られ旧国鉄の廃線後、湖に放置されたコンクリートアーチ橋。(現在 北海道遺産)

ダムの水かさが増す6月頃から湖面に沈み始め、10月頃には湖底に沈み、水かさが減る1月頃から凍結した湖面に再び姿を現わします。
季節によってその姿を見せ隠れするアーチ橋は日本でここだけということもあって人気スポットになり大勢の観光客が訪れています。

それにしても、いくら大雪山の豊富な森林資源を必要としていたとはいえ、北海道内でも屈指の深い森と渓谷にこんなみごとな橋を建設したものだと先人の勇気と努力には驚かされます。

しかも、大雪山国立公園に調和させることを意識したアーチのデザインは芸術的でまるで古代ローマの遺跡を思わせるのです。
もしボクがNHKの関係者だったら、この橋を作った人々のことを「プロジェクトX」で取り上げたと思います。

ボクの場合訪れる時間は、人がいない早朝たそがれ時と決めています。
特に朝靄の湖面に沈む寸前の橋は、「千と千尋の神隠し」のワンカットのような不思議な光景が見られるのです。

ただ、この時間はヒグマも活発に行動するので腰にナイフと鈴を付けて・・・命がけです。


実は・・・もう一点・・・ボクがこの橋に心引かれる理由があります。

今まで誰にも云わず、一人で妄想し楽しんでいたのですが・・・もう限界です。
だから
「黒曜石の世界」のファンの皆様だけにそっと教えします

それは、この橋の素材は現地で採取した砂利や砂がセメントに混ぜられ使われたということです。
ここが
黒曜石の原産地だと云うことを当時の技術者が知っていたかどうかは分かりませんが・・・、

「タウシュベツ橋」には
黒曜石(オブシディアン)が入っているのです!


風化により橋の外壁のコンクリートは剥げ落ち内部の砂利が露呈しています。
砂利にコンクリートが附着しているので、どの石が
黒曜石かを見抜くにはかなり熟練を要します・・・。

橋が朝日か夕日に照らされた時、キラリと光る一点を感じたら双眼鏡で覗いてみて下さい。

ただし、夢中になりすぎてこの場所がヒグマのカテゴリーだということを忘れてはいけません。
時々後ろを振り向いて「ヒグマ」がいないことを確認することをお忘れなく。

この夏、タウシュベツを訪れた時、橋が完全に沈んでいないことを祈っております。

2007. 7.20

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博物館に直行せよ!

先日、群馬のIさんから、6月に伺うのでよろしくとの電話。
Iさん岩宿博物館友の会石器づくりサークルのリーダーで、何年か毎に10名ほどのメンバーで北海道の遺跡や黒曜石の原産地を訪れていて、今回は、旭川市の博物館で開催されている企画展「東日本と西日本の黒曜石」を見学することがひとつの目的とのこと。

そういえば、確か4月から開催されていて、行きたいと思っていて行けなかった企画展。I氏によると610日まで延長されたという事でした。

521() 、このチャンスは逃すまいと家を飛び出したのです。
天気は最高、当然この場合のドライブコースは山岳景観の美しい糠平〜三股〜三国峠〜層雲峡に抜ける「東大雪コース」


十勝三股 ひがし大雪連山と雪解け水の沼

このコースは、休日でも交通量は少ないのですが、この季節の平日となるとガラガラでビューポイントを独り占めできるお奨めのコースです。

旭川市に近づくにつれ、ちらほら出てきた「旭山動物園への案内看板」・・・

テレビの力はあなどれないもので、その影響を受けやすいタイプのボクの脳にはすでに映像がインプットされていて、看板を見るたびに頭の中のスクリーンに「あの水槽を潜り抜けるアザラシ」や「白くまのド派手なダイビング」「チンパンジーの空中散歩」の映像が映し出され、ついに予定を変更し「動物園」に立ち寄ってしまったのです。

それにしても、平日だと云うのにすごい数の観光バスと自家用車、そして人人人

その人の波を掻き分けながら目的の檻にたどり着くのですが、動き回っているボクとは裏腹に、檻の中の動物たちはいたってのんびりモードなのであります。

ダイビングするはずの白くまは寝ていたし、透明の筒の中を通り抜けるはずのアザラシは広い水槽でゆっくり泳いでいたし・・・。
ワニ
なんか目だけパッチリ開けてるくせに全く動かないのです。
哺乳類も爬虫類も春は眠いのです!

熟睡中の白くま  アザラシが通る予定の水槽を見ている人間 
ライオンは3頭とも無防備で爆睡  ヒグマは寝たふり・・・時々顔を上げていた
チンパンジーの親子も・・・爆 こんなカッコウでよく寝られるものだ・・トカゲ
どぐろを巻いて寝るヘビ 不眠症のワニ
要するに檻の中に入れられ、規則的に餌を与えられる動物たちは無駄なことはしないのです。
それに、ゴールデンウィーク中は休まず頑張ったのだから、連休明けの平日ぐらいはゆっくりしたいのです!

結局、テレビで放映されているような動物たちの派手な行動は見られないまま、興奮して園内を動きまわり疲れきって動物園出たとき、なぜか自分が檻から出られたような妙な開放感にしたっていました。

マスコミの加熱報道が沈静化し、ブームが去った頃にもう一度訪れ、旭山動物園がめざしている「動物それぞれのが持っている行動を引き出し,それを展示する。」という真髄に触れてみたいと思いました。

二時間ほどの道草だったけど、旭川ラーメンで腹ごしらえをしたボクは迷うことなく
東日本と西日本の黒曜石」たちに会いに博物館に直行したのであります。

2007. 5.27

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ファイナルステージ
〜 ミニチュア・カーリング 〜
2月の末、極寒の地ではあってはならないことなのに「雨が降った」。
これでリンクは完全に解け、カーリングは終わりだと諦めていたら翌朝再び凍っていた。


その朝、糠平温泉「山湖荘」に宿泊していた学生9人が「カーリングやらせて」とご来店。
凍ったとは云え、リンクはガタガタで無理だと云ったが、「どうしてもやりたい!」「凸凹の修復は自分たちでやる」と云うので、金属製のスクレイパーを貸して上げた。
しかし、氷は簡単には削れない・・・しばらくすると、一人の若者が店の前に置いてあった「黒曜石のカケラ」を使い出した。

これがなんと金属のスクレイパーよりはるかに削れるのだ

若者たちの柔軟な発想に敬服し、ボクは石器を作るために準備していた「剥片」を提供した。
黒曜石の剥片を手にした若者たち、ものの10分ほどでリンクの凸凹を修復、早速ミニ・カーリング大会が始まった。
自分たちでルールを決め、大騒ぎをしながら、しかし整然とゲームを楽しんでくれた。

こうして、「ミニチュア・カーリング大会ファイナルステージ」は華々しく幕を閉じた。
帯広畜産大学の若者たちに大感謝である。


これで、やっとリンクの水撒きから開放され、脳ミソも「雪解けの春を待つ」通常モードに切り替えられると安堵したが・・・。

甘かった!

寒さがぶり返し、リンクの氷は現状維持、「やらせて・やりたい」が3日続いた。
そして、ついに「ひがし大雪自然ガイドーセンター」の人気ガイド・カモちゃんが現れ、凸凹リンクで見事にハウス()を射とめ、そのミニチュア・ストーンを購入し友人にプレゼントすると云って立ち去った。

数日後・・・
カモちゃんから、「南富良野にある本物のカーリング場に行き、目黒選手の指導者(お父さん)にプレゼント、本物とミニチュアでゲームをやり、バカ受けでした。」とのメールと画像が届けられた。


なんと、ミニは、本物のリンクで、本物のプレーヤーによって2007ファイナルステージを飾っていたのだった。

             春はもうすぐ・・・。

2007. 3.11

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ミニチュア・カーリングのリンクついに完成
子供の頃から冬の遊びは知り尽くしているはずと自負していたのですが、不覚にもデッキブラシみたいなもので氷を削りながら石の平玉を滑らせる「カーリング」なるスポーツをボクは全く知りませんでした。

1年前の2006年トリノオリンピック、「チーム・ジャパン女子」の活躍がテレビで報じられその中継に釘付けになっていました。
スピードスケートやスキーとは全然違うタイプの氷上スポーツだけど、「石」を使った極めて緻密なスポーツ、しかも、ハウス(的)をめがけてストーンをコントロールする選手たちの瞳の美しさに心動かされてしまったのであります。
結果的には、1次リーグ最終戦にスイスに5―11で敗れ7位、準決勝進出はならなかったのですが・・・大満足でした。

そのトリノの余韻を断ち切れず、ついに、「黒曜石でカーリングストーンを作って、自分でもやってみよう!」と北国育ちの血がうずき制作をはじめました。
そして4月の下旬、ミニチュアのカーリングストーンの第一作が完成したのですが、・・・・。 時すでにおそく、季節は雪解けの春を迎えていました。

熟知たる思いで待ち望んだ2007年冬

元旦明けから、毎晩人目をさけながら密かに店の横の空き地に「ミニチュアカーリング用リンク」の造成に取り組んでいたのであります。

これはもう、2002年2月の「シャボン玉も凍る実験」、2004年2月「ぬれたタオルは何回振り回せば棒になるかの実験」を遥かに越える労力を要する作業だったのであります。

暖冬とは云え、日が沈むとマイナス10℃
ウィスキーをチビチビ飲みながらではありましたが試行錯誤の末に完成致しました。
氷は膨張するため平坦なリンクを完成させる作業は極めて難しく、完成度は80%ではありますが・・・。


見てやって下さい!

全長8m、幅1.3m、これが世界初屋外ミニチュア・カーリング特設リンクです。


黒曜石のカーリングストーンは、本物の重量の2000分の1

ブラシは、1年まえから「歯ブラシ」を使うしかないと決めていました

ただ、今最も気がかりなのは、競技に参加する選手が集まるかどうかなのであります。

一応すぐ乗るタイプの友人には、一年前から声を掛けてはいるのですが・・・。

万が一、暇をもて遊んでおられる方がいらっしゃいましたら、ぜひ体験にいらして下さい。

とりあえず単純なルールを作り、氷が融けるまでお待ちしております。

2007. 2.13

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ダウジング 〜 黒曜石のペンデュラム 〜

ダウジング・・・今回のテーマ、何ソレ って思われたかも知れませんが、実は僕もつい最近まで知りませんでした。

お店に来られるお客さんの中には、熱心なパワーストーンの愛好者がおられ、そぉーと作品に手を当て「石と交信?」したり、「黒曜石の効用」について詳しく語って下さることがあります。

聞いていて、なるほどと思うことも無いわけではありませんが、どっちかと云うと僕の場合、そういう類の話に簡単にはのめり込めないタイプなのです・・・。

だからと云って・・・

科学で証明されていない未知なる現象を全て否定するって訳でもなく、心のどこかでUFOに遭遇しないかなぁ〜」などと密かに願っていたり、「オバケ」の話を聞かされると、その夜は怖くて眠れなくなることもあり、「超神秘的現象」に対しては未だ確固たる哲学を確立しておりません。

そんな訳で、パワーストーンについては否定も肯定もできず、「ま、人それぞれ感じたままでいいかぁ〜」と思っていた次第です。

と、ところが、晩秋の11月初旬・・・予期していなかったことが起こってしまったのです!

一緒に仕事をしている相棒の妹が興奮して

来店された中年の女性のお客さん、ポケットから「鎖の付いた小さな石の振り子を出して「黒曜石の月」の上に垂らしたら、しばらくしてその振り子がクルクルと回り出した。と云うのです。

「冗談云うな・・・そんなこと起こるはずないだろ・・・」一笑に付すと。
妹曰く
「信じられなかったけど、私もやらせて貰ったら ゛回ったのよ!゛」

「そのお客さん、黒曜石の振り子ならもっと効果があると思いますよ。」と云い残し帰られたそうです。

ほとんど眉唾的な話だと思いつつも、「UFOとの遭遇を期待しているのと同じ感情」がしだいに心を支配しはじめ、僕は「黒曜石で振り子」なるものを作りはじめていました。

   一日かけて試作品完成・・・早速試みたのです。

〜ッ・・・
回っている!×
・・・ソ〜 、ぉ〜です。

                    
(日本人は、驚くとなぜか「あ行」になります)

鎖で垂直に垂らした「振り子」は、「黒曜石で作った直径14cmの地球」の上で、

初め微妙に揺れ、しばらくして小さく右に回り始め、次第に人工衛星のように回りはじめたのです。

いろいろなモノで試してみました。

どうやら自分が気に入っているものは右回転嫌いなものは左回転するようです。(僕の場合)  ⇒⇒







⇒⇒

その日から数日間、それはもうパニックでした。

試作した振り子を使い、家族はもちろん親戚、お客さん、友人をつかまえては実験を強要し続けました。

結果、回転の方向、大きさや勢いの違いこそあれ
19名中16回ったのです。


    
ダウジング・ペンデュラム

をキーワードに検索エンジンで調べまくると、

ダウジング(DOWSING)とは、古代より人間が生きるための術(すべ)として地下の水脈や鉱脈を探すのに利用されていた方法。

ペンデュラム(PENDULUM)とは、その為の道具の一つで「振り子」の意味。
現代でも「水道管」「地雷」「温泉」や「油田」の位置を探し当てるために使われたり、自分の潜在意識を引き出したり、占いの道具としても使われている・・・とのこと。


分かったようで分からない話・・・しかし、僕のペンデュラムが回ったのは確かで・・・・。
この場合、仕事を終えてとりあえず1杯やるしか打つ手はあり得ませんでした。

いつもの様にほろ酔い気分・・・よせば良いのに、そのウィスキーグラスの上に垂らしたペンデュラム・・・静かに右に回り始めたのでした。

この話、信じてもらえるとは到底思っておりませんが、ことの成り行きと勢い「黒曜石のペンデュラム」、ギャラリーの一隅のページに紹介致しました。 

例年ならこの時期の北海道、朝晩どっと冷え込み脳味噌もピシッと張り詰めるのですが、なんせ温暖化の影響で異常に暖かく、どうも僕の脳の調子 今一と思われます。

この「ダウジング現象」なるものについて、体験をお持ちでしたら「掲示板」にコメントいただければ幸いです。

2006. 11.28

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宗谷岬 U
旅は好きなので、これまでも時間の都合がつけば出歩くのですが、結構苦しむのが「お宿」探し。

旅行誌などを買い込み必死で宿選びをするのですが、大体の場合×

たとえば、知床ウトロの「U民宿」、家族で旅行した時に泊まった宿、オホーツクの海を眺めながら、夕食のメインが鮭の切り身の焼き魚でした。よせば良いのに「ぬるめの燗お願いします。」と注文したら「ワンカップ大関」がレンジでチンされ「ワンカップ大関のまんま」熱燗で出てきた時には、一瞬ですが ゛失神゛しました。

こんなことを書き出すと、次々と「お宿選びの失敗例」が走馬灯のように想い出されてしまうものです。

仕事の帰りに泊まった支笏湖の「ホテル・L・in」、3月のシーズンオフの平日ということもあったのですが、大きなホテルに宿泊客は僕一人。
静まり返ったお風呂に入ったのですが、「ポッタン・・・ポットン」と繰り返し天井から滴り落ちる水滴の音が浴場内で反響、しかも立ち込める湯気の中に僕一人、このままではヤバイ、エイリアンに襲われると思い身体も洗わず飛び出しました。
客一人では電気を点けるのは勿体無いと思ったのか・・・ロビーも廊下も暗く、夕食は広いレストラン。薄明かりの寂しすぎる雰囲気の中で、一人で食事をしていて涙が出てきました。
その時の料理がどんな内容だったのかすら、未だに全く思い出せません。

最近は、北海道の温泉宿を現地取材し、旅行者の率直な評価を取り入れ「温泉宿」を紹介している「北海道いい旅研究室」
(館浦あざらし責任編集)を熟読しているのでほぼ失敗はないのですが・・・。
道北・稚内は温泉が少なく「いい旅研究室」の圏外・・・。
やむなく宗谷岬の宿は、当たるも八卦(はつけ)当たらぬも八卦〜インターネット情報で選びました。

宗谷岬まであと35.5km

宗谷岬をめざしながら、なぜか吉田拓郎の「襟裳岬♪」を口ずさんでいました。
「岬には何も無い」とイメージが勝手に膨らみ始めるのですが、車窓から流れる風景は延々と続く町並み、岬には、数え切れないほどの風力発電用の巨大な風車群。
岬の最先端に辿り着くと、「最北端の土産店」の派手な看板を掲げた数件のお店・・・流れているBGMは噂どうりダ・カーポが歌う「宗谷岬♪」。
描いていたイメージとはかなり違ってはいたのですが、それでも長年の夢だった岬に立ち、感慨に慕りました。


宗谷岬は「日本の最北端」には違いないのですが、
実は僕、ホントのこと云うとこのフレーズあまり好きじゃないんです。
どっちかつーと・・・
日本人
祖先はどこからきたのか?・・・こういう方が好きです。

最新の考古学は、科学技術を駆使し、この疑問を解き明かしつつあります。
600万年前にアフリカ大陸で誕生した猿人、永い時間をかけ我々現代人の直系となるホモサピエンス(新人)が東アフリカ地溝帯で生まれ、ヨーロッパ、東南アジア、シベリアに拡散を始めたのが5〜6万年前。
当然、この時代に日本列島にはまだ人類は到達していません。

最初の日本人の祖先は、日本列島の北から入ってきたのか、南方から入ってきたのか?
長い間続いた論争は、佐賀医科大学の篠田助教授の調査・研究により「北回廊説」が証明されつつあります。

氏は、縄文人の遺伝子DNAを世界各国130あまりの民族データー500万件とつきあわせ、縄文人29体のうち17体のDNAがシベリア草原に暮らすブリアート人と一致したことを付き止めたのです。(そのほかでは、韓国人1体、台湾(中国)人1体、タイ人1体)。
アフリカを旅立った新人が氷河期のシベリアの草原に到達したのが3万年前、その後、大寒冷期に入り草原は消失、マンモスなど大型動物は新たな草原を求めて移動を開始しました。

今から約2万年前

気候の変動により草原はサハリン〜北海道に移動したと云われています。
サハリンから宗谷岬までわずか40km、海峡の深さは30m〜70m、最寒冷期の海面は現在より100m以上低下・・・。
唯一大陸と結ばれた陸橋を渡り シベリアのマンモスハンター・ブリアート人の祖先は、ついに日本列島に足を踏み入れたのです。

彼らがシベリアでマンモスを狩るために作った最強の狩猟具が「細石刃」。
それと全く同じ技法で作られた黒曜石の石器が、僕の工房から500m離れた「嶋木遺跡」で発見されたことも、「日本人北回廊」説を証明する有力な証になっています。

そんな訳で僕、この岬は
日本人の出発点などと熱く思っていたのです。

北緯45度31分 「宗谷岬」 北はサハリン、沈む夕日の彼方は朝鮮半島、なのにこの極東アジアの海はとっても穏やかに感じました。

翌朝、朝食を頂いていると、女将さんが、「皆さん岬を見て帰られますが、時間があったらぜひ岬の高台に行って見てください。氷河が作った美しい丘と、丘の上から海を見ると地球が丸いってことがわかりますヨ。」

時間はなかったけれど、あまりにも一生懸命すすめてくれたので行って来ました。
そこには、女将さんが云ったとおり、氷河が削り作った美しい丘、「地球の丸さ」が実感できる海、水平線の彼方にサハリンの島影が薄っすらと浮かび上がっていました。

インターネットで情報をかき集め選び抜いた「お宿」・・・食事はまぁまぁ、施設は今一でしたが、女将さんがいい人だったので一応

今度行く時は、もう少し時間をとって「出発点・宗谷岬」をじっくり堪能してみたいと思っています。
2006. 10.23

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宗谷岬
隠すつもりではなかったのですが、北海道に生まれ、Uターンして13年も経っているのに「宗谷岬」に行ってませんでした。

ただ過去に一度だけ、日帰り計画で最北の地・国境の街「稚内」をめざし北上したことがありましたが、この時は、ほとんど衝動的な行動だったので、途中で挫折し引き返すという無残な結果に終わりました。
大雪山を越え、上川を抜けひたすら国道を走ること4時間30分、やっと辿り着いた名寄市、地図を見たら、稚内までやっと半分くらい・・・。上士幌町を出発した時間が10時だったので、最北の街に着くのは甘く見積もっても18時すぎ、やむなく引き返したのであります。

オーバーなとお思いの方もおられるかも知れませんが、わが町上士幌町から宗谷岬、帰りは日本海側のオロロンラインを通り帰宅すると849q、直線距離で云えば東京から北九州市ほどになっちゃうんです。

               ・・・苦節5年・・・

       真面目に生きているとチャンスはめぐってくるものです。


たまたま、娘に届いた結婚式の招待状、式場は稚内市、・・・理由はともかく千載一遇のチャンス。彼女も運転できるので二人で行けばいかに稚内が遥か彼方にあろうと走破出来る。
もちろん宿も取れた。
娘を式場に届けさえすれば、あとは全部自由時間。
そんな訳で10月初旬、ついに僕は日本の最北端・念願の「宗谷岬」に行ってきたのです。

同じ北海道とは云っても、東と北では景観も大違い、人もモノも見るもの全てが新鮮に感じられるものです。

そして、予期せぬことも起こるわけです。

ドライブ中に気になったことのひとつに、十勝ではほとんど見られない看板
「テロ警戒中・不審なものを見つけたら連絡を!」、その看板を見るだび、こんな山の中でテロ警戒中も無いだろうと笑っておりました。
トイレ休憩に立ち寄った道の駅「美深(びふか)」、小用の便器が4つ並んでいて、そのうちのひとつの便器の前の棚に、誰も居ないのに小さなバッグが置いてあるのです。
当然、僕はそこは避けて、二つ隣の便器の前に立ちました。

ふと頭をよぎったのが、「テロ警戒中・不審なものを見つけたら連絡を。」の看板の文字。
もしかしたら突然爆発するかもと不安を抱きながらそそくさと用を済ませ、立ち去ろうとしたところに、
一人の男が入ってきて、わざわざバックの置いてある便器の前に立ったのです・・・。
立ち去ろうと思っていたのに、その男と目が合ってしまい「しているふり」をしながら、観察してしまいました。
男は、目の前のバッグと僕を交互に見ながら、僕が立ち去るのを待っていたような気がしましたが、しばらくしてあきらめたように立ち去りました。

ホットしていると、また
一人別の男が息を切らして駆け込んできたのです。やむをえなくふたたび「しているふり」を継続せざるを得ませんでした。
小太りでやや髪は薄め、人のよさそうな感じのその男は、便器の上の棚を見てにっこり微笑み、バッグを手に取り、なぜか僕に軽い会釈をしたので、僕も頭を下げました。
彼は、嬉しそうにスキップを踏みながらトイレから立ち去り、何事も無かったかのように僕もトイレを出ました。

宗谷岬まで、あと178km。

低くたれ染めていた雲も切れ、青空が見えてきました。
遠い昔、氷河で削り取られたというなだらかな丘。これもまた十勝では見られない景観。
風が強い土地ということもあって、丘の随所に電力発電用の風車がゆっくりと回っているのです。
機械のくせに風車の動きは、まるで一生懸命労働しいている人間のように見えるのです。
林立しているので景観的には今一ですが、安全性に疑問がある「原子力発電よりはいいかぁ〜。」と見とれていて、発見しました。
風を受けてクルクル回っている10本の風車の中で1本だけが止まっているのです。
機械のくせに「労働拒否しサボっている」のです。
瞬間的に
「Tくん」を想い出してしまいました。
昔サラリーマンをしていた時に、みんなが一生懸命に働いているのに、ただ一人サボっていた「アイツ」
サボっている風車と親友の
Tくんが重なり、懐かしさが込み上げてきました。
人も機械も一生懸命働いている時、必ずそうでない奴も一人か二人いて社会や職場は絶妙なバランスとっているんだよなぁ〜。
「Tくん」との友人関係が未だに続いているのは、僕も同類だったからだと思われます。

宗谷岬まであと65q。

娘を稚内市内の式場に降ろし、そのままノシャップ岬へ直進。
我が家を6時に出て8時間、ノシャップ岬に着いたときには、午後1時50分を過ぎていいました。
ノシャップ岬は、礼文島・利尻島を見渡す稚内市の観光名所のひとつ。

秋だと云うのに気温が高く、日本海は薄っすらと靄っていて残念ながら2つの島は見ることが出来きませんでした。
ま、しかたが無いと云い聞かせ、その公園のすっごく立派なトイレに入りました。
先のトイレのことがあったので、ここのトイレにも少なからず期待していた感がありました。
そして、予感は的中。

たわいもないことですが、便器の前に人が立つとセンサーが反応し水が流れるのですが、そのセンサーの表示板が逆さまに取り付けられていたのです。
きっと一億円くらいかかったトイレでしょうが、作ったのは人間ですから、完璧って事は無いわけで、職人さんのとっても可愛いミスティク、TOTOさんには悪いけど、人間っていいなぁ〜って感じちゃいました。

機会があってノシャップ岬に行った時は、ぜひご確認下さい。男子トイレの一番右端の便器です。

ノシャップ岬から宗谷岬まであと35.5q、日本の最北端はもうすぐです。
つづく
2006. 10.5

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氷 柱

今年の冬、工房のテラスの軒下で見事に成長した氷柱(つらら)
真冬の太陽の光を浴びキラキラ輝いていました。

あまりの美しさにしばらく見とれていたのですが・・・なぜかしだいに意識は、
琥珀色に染まり、仕事を終えた時には氷柱はウィスキーグラスの中に・・・入っていました。
あの夜の
つらら・オンザロック・・・それはそれは「美しい味」でした。
残暑お見舞い申し上げます。

2006. 8.19

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動物園へ行こう!
ここのところ、休みの度に「歯科クリニック」「肛門外科クリニック」のハシゴをやっていたので、かなりストレスが溜まっていました。
なんたって、折角の休みだと云うのに、午前中に帯広まで車を飛ばし「下の治療」、とんぼ返りで上士幌町に戻り「歯の治療」・・・毎週こんなことをやっていたら「病気」になってしまうような不安に駆られ、思い切って先週の休みは「上下の治療」をサボりました。

こんな時は
「奴に会うしかない!」と、迷うことなく我が家を飛び出しました。
お尻の痛みは多少残っていたのですが、勇気を振り絞って片道3時間のドライブに挑戦したのであります。

めざしたのは釧路動物園。

今最もメジャーなのは旭川市の旭山動物園ということは重々知っています。
マスコミの報道でも、この夏も人気絶頂らしいので、今行けば大勢の「人間」を見ることはできても、肝心の動物達をゆっくり見る事は出来ないだろうと思って先送りしました。 こちらには、ほとぼりが醒めた頃に行くつもりです。

ボク的には、決して近代的とは云えないこの
「釧路動物園」がお気に入りで、ほぼ年に一回は通園しているのです。
昨年の秋は、紅葉が終って園内の木の葉が落ちた頃に行ったのですが、園内にほとんど人影は無く、木々の葉で隠れていた「隣の墓地」が丸見え・・・なんと云いましょうか・・・それはもう「ワビ・サビの空間」なのでした。

動物園の「採算性」は別として、多くの動物たちの視線を1人の客一点に集められる「動物園」は他には無いと思うのです。

しかもここには
コタンコル・カムイ「シマフクロウ」がいる
・・・これはもう贅沢の極致としか云い様がありません。

シマフクロウの刺すような眼光で睨みつけられること1時間・・・訳もなく「済みませんでした。」と頭を下げるしかありませんでした。

その時・・・スピーカーから「本日、特別企画として1時30分より、自然繁殖に成功した
シマフクロウの幼鳥の観察会を行います。ご希望の方は・・・」のアナウンスが流れたのです。

ビッグチャンス!
尻が痛いなんていってる場合じゃないのです!

突然
「シマフクロウの幼鳥」を見られるなんて、なんてラッキーなんだろう。
・・・やっぱり、日々まじめに働いて頑張っていたから、
カムイはボク見放さなかったのだなどと勝手に思いながら・・・、今何時なのかわからない自分の存在に気づいたのです・・・。

確か、「希望者は1時30分に集合」とのアナウンス。
・・・が、ボクは未だに携帯電話を持っておらず、腕時計もだいぶ前に壊れて・・・。
集合時間は分かるのに、今が何時か全く分からない・・・焦りながらふと天を仰いだら太陽は真南よりチョットだけ西・・・とりあえず全速力でに集合所に駆けつけました。

集合場所で待っていてくれたガイドのおじさんは、必死で集合場所にたどり着いた僕の顔をみてとっても嬉しそうに
「今日は、誰も来てくれないかと思っていました。2ヶ月半前に生まれた幼鳥、ぜひ見てやって下さい。」
と云いながら秘密の場所に案内してくれました。

釧路動物園は、絶滅危惧種「シマフクロウ」の自然ふ化、人工ふ化に取り組んでいる日本で唯一の園です。
おじさんはニコニコしながら、自慢の我が子を見せるように幼鳥を見せてくれました。
そして、幼鳥の隣で警戒しながらボクらを睨みつけている親鳥を指差しながら、
「一度だけ飼育中に襲われたことがあります。鋭い爪が首に突き刺さるまで、全く気配を感じることができませんでした。
シマフクロウとはそんな鳥です。」・・・。
生まれてわずか2ヶ月半だと云うのに、幼鳥の容姿も鋭い眼光もほとんど親と見分けがつかないくらい成長していました。


「絶滅の危惧は、むしろお前たち人間にある。」
・・・それが奴の眼光に込められたメッセージではないかと思われ、「深く反省」しながら家路に向かいました。


この夏、北海道を旅するなら「釧路動物園」を訪れ、「カムイ」と真剣に向き合ってみてはいかがでしょうか!

ついでの話で恐縮ですが、そんな訳でキリ番150000アクセスの景品は「シマフクロウ」に致しました。
2006. 7.17

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悲惨な6月
6月20日、雨と雨の隙間を狙って、我が家の庭を覆いつくした雑草と雑木林の伐採を6時間余に渡り一気に執り行いました。

エンジン付きの草刈機とチェンソーは、下半身にグッっと力が入るわけで、作業が終了した時、馴れないボクの身体には計り知れない付加がかかっていたように思われます。
しかしながら頑張った甲斐あって、我が家の庭はスッキリさわやかになりました。

満足したボクは、疲れた身体を癒やすため、町営温泉に行きのんびり湯に浸かり、身体を洗おうと風呂椅子に腰掛けた途端、股間に異物を感じたのです。
その時点では、痛みはなかったのですが、帰宅後しだいに異物は成長し、気が付くとそれは「親指の爪ほどの大きさに拡大し激しい痛みを覚えました。

一体ボクの身に、何が起こったのか・・・。

はっきり云って、2006年6月20日、突然「いぼ痔」になりました。

これまで、両親をはじめ身近な関係者がで痛がっているのをはたで見ていて、「なんて大げさな人たちだ。」とあざ笑っておりました。
人類が二足直立歩行をはじめたことによる産物として、宿命と云われていた
「痔」ですが、ボクには無縁という根拠の無い妄想に取り付かれていました。
しかし、突然わが身に降りかかった
「いぼ痔」は恐ろしく痛く・・・この年になって当家の関係者の苦悩をやっと共有することが出来きた次第です。

悲惨な6月。

6月の北海道と云えば、
新緑と残雪の山々・・・一年中で最も美しい季節・・・。
そのことは当HPでも度々紹介して来ました。
それが、今年はとにかく異常・・・6月に入りこの地には、ほとんど日は射さず、雨・雨・雨、、、、本州の梅雨に負けず劣らずの日々が続いていました。

「痔」はそんな6月の最終ステージに起こったのです。

異常とも云える天候不順に呼応するように、次々と肉体にも異変が生じていました。
昔、病院に勤めていたのですが、病気と云えば風邪くらいで病院通いにはほとんど無縁だったのに、この6月、ボクは集中的に病院通いをしてしまったのです。

はじめは、右腕の腱鞘炎で整形外科、治ったと思ったら激しい頭痛と肩こりで鍼灸治療院、そのうちに歯茎が痛み出し歯科クリニック・・・。

歯科の院長先生は、黒曜石工芸品を時々プレゼント等に利用して下さる方で、歯に関してはボクも信頼している先生。
その先生に
「前歯四本もう駄目だから四本一度に抜くよ。」と云われ、抜いたばかりで治療中だったのです。
チャームポイントだった前歯四本を一度に失ったショックから、やっと立ち治れそうになっていた矢先の
「痔」ですから・・・「お歯無しになりません。」・・・オヤジギャグと笑われても恨みませんので笑って下さい。

生物にとって、食物摂取の入り口に当たる穴と、排泄の出口に当たる穴の同時多発障害は深刻であり、万が一の事態を考え・・・唯一愚痴をこぼせる親友にメールで、この顛末を伝えました。

その親友からの返信メールには件名欄に

「よりにもよって「いぼ痔」とは...ナンマンダブ、ナンマンダブ、ナンマンダブ」・・・

本文なし・件名のみの手抜きお見舞いメールが送られて来ました。

ちなみにこの親友、過去には我が身おしまず愛をささげてくれた、「ほやの燻製」のこの方です。


今夜も、シトシトと降り続く雨。

ワールドカップで王者ブラジルに敗退したジーコ・ジャパン、悔しさをボクも共有し生きていく決意です。
獲物を追っかけて生きてきた狩猟民族に、マジメに田植えをしてきた農耕民族がハンディ無しで、あれだけ頑張ったら文句なしです。

「雨降って痔 固まる!」です。 使い古しのオヤジギャグU、無視されても仕方がないと思っています。

今のボクにとって、北朝鮮がミサイルを発射するとか、自民党の総裁が誰になるとか、ワールドカップでどこの国が優勝するとか、そんなことはどうでも良い話。
ただただ、
いぼ痔が穏やかに元のサヤに納まってくれることと、お天道様が少しだけでも顔を見せてくれることを願うだけです。

他人事だと、笑っている場合ではありません。
直立二足歩行をしている人類の3人に1人は必ず「痔」になるのです!

2006. 6.23

きまぐれコラム 目次

スズメが消えた
1月から4月にかけて、庭先にいつも来ていたスズメがピタリと姿を消してしまいました。

今まで、誰にも云わなかったのですが、実は子供の頃、ボクは家の庭にスズメを捕るワナを仕掛け、捕ったスズメを焼いて食べました。
それは、かなり香ばしく美味かったのですが、あの小っちゃな小鳥を食べてしまった罪悪感が心の片隅にずーと残っていて・・・庭先でスズメを見るたび後悔の念にかられていたのです。

そんなおり・・・

「雪解けの北海道で大量のスズメの死骸が発見された。」というニュースが報じられるに至り心は乱れまくりました。

時効とは云え、過去に「食べてしまった」ボクにとって、それはもうかなりショッキングなことでした。

北海道庁やマスコミが盛んに、各地の情報提供を求めていましたが、後ろめたさを感じていたボクは
「スズメがいない。」という事実を率直に伝えることは出来ずウジウジしていました。

スズメは人間と同じ一夫一婦制で、1回の繁殖で8個ほどの卵を産み巣立ち率は50%・・・って云うことは、ボクがもしあの時食べなかったら、あのスズメの子孫は10年で400万羽、11年目1600万羽、12年めには6700万羽、13年目には2億6000万羽・・・15年目で171億羽。
あれは40年以上前のことだから、ボクが一羽食べてしまったせいで計算上は天文学的な数のスズメがこの世に生まれてこなかったことになりました。
責任の重さを感じつつ、今は静かに調査結果を待つしかないと思いました。

旭川や札幌で大量死したスズメの死因は、
鳥インフルエンザでも餓死でもないと云われていますが、研究機関の必死の調査にもかかわらず未だに原因は解明されていないようです。

そんなおり・・パートU

十勝川から北のシベリアに向かうために編隊飛行をしていた白鳥が、ギャギャ鳴きながら我が家の周囲を旋回し、近くの畑に降りてしまったのです。
翌日も朝早く、同じように旋回を繰り返し再び畑に降り、3日後にやっと北のシベリアに向って飛び去りました。

ひがし大雪自然ガイドセンターの鴨ちゃんに、こちらの異変を伝え
「森の方で変わったことない?」と聞くと、「スズメのことは気が付かなかったけど、ほとんど来るはずがない「オオタカやオジロワシ」が飛来している!」とのことでした。

4月末まで、こんな異変が続いていたのですが、GWに入り気温が平年並みになった途端、今まで姿を消していたスズメたち、チュンチュン・チュンチュンさえずりながら我が家の庭の雑木林を飛び交っていました。

昨年と比べて平均気温が、たった1.6℃低かった4月でしたが、人間よりも小さな鳥たちには激変だったのかも知れません。

温暖化って冬も気温が上昇するのかと思っていたけれど、そんなに単純ではないみたい・・・です。
人間の場合は、1℃や2℃の違いですぐに生命の危機が訪れるということはなさそうですが、ちっちゃな鳥たちには、大変なことだったのかも知れません。

たわいも無い小さな出来事ですが、スズメたちが帰って来てくれたことで・・・なんだかとっても幸せなゴールデンウィークになりました。

この際なのでついでに告白しますが、
子供の頃、一回だけですけれど「ヘビ」も・・・・食べました。
2006. 5.4

きまぐれコラム 目次

足   跡
薄っすらと積もった雪。

工房の駐車場の周りの雑木林に、点々と続く小っちゃな可愛い足跡を見つけました。
朝は−10℃前後で、まだまだ寒い十勝だけれど、生き物たちは少しずつ動き出している気がします。
足跡の主が気になって写真を撮り、東大雪自然ガイドセンターカモちゃんに鑑定を依頼しました。

さすが、自然ガイドのプロ、画像を見て一発で判定してくれたのです。
答えは
「野ネズミ」
ボク的には、モモンガかエゾリスでは・・・と期待したのだが・・・「足跡と足跡の間に一本の線があるでしょ・・・これ、野ネズミのシッポの跡なんです!」カモちゃんは冷静に鑑定してくれたのでした。

ま、
野ネズミって云われても、春を告げる生き物たちの行動の証しには違いないし、とにかく この足跡 とっても可愛いかったのです。



野ネズミの足跡 結構可愛いでしょ

で、カモちゃんに、「なんか楽しい話あったら送ってよ・・・」
ってメールしたら、早速、糠平湖左岸雪原に残されていた動物の足跡の画像を送ってくれました。

足跡って、普通地面でも雪原でも動物の重みで沈むからできるでしょ・・・これ常識だよね。

とッ・ところが、カモちゃんが糠平湖で見つけた足跡・・・なッ・なんと「雪原から浮かび上がっている」ではありませんか

極寒の地ならではの
「シュカブラ」と云われる不思議な現象・・・。

         とりあえずごらん下さい。


★シュカブラ★

先日糠平湖の雪原を歩いていたら、動物の足跡だけが盛り上がっているのを発見しました。
冬の造形美!!雪&風の不思議!!を見て感動しました。
これは、乾いた雪原を動物が歩くと、そのわずかな熱によって雪が湿り固まり凍ります。その後
まわりの乾いた(軽い)雪が強風に吹き飛ばされ、下駄のように足跡だけが盛り上がるそうです。
面白いでしょ!! (文責 カモちゃん)



ちなみに、ひがし大雪自然ガイドセンターのカモちゃんは、たしかホリエモンと同世代の若者・・・。

このクソ寒い地を訪れてくれた旅人に、自然がかもし出す美しい出来事を観てもらおうとガイド業をしているカモちゃん
株と権力に媚びへつらって、金を儲けることが豊かさだと勘違いして暴走している彼等より、数段豊かに生きている若者なのです。


話は変わりますが・・・

心無いマスコミに、
金!銀!銅!と煽られながら、そのプレッシャーと真っ向から闘って、ベストを尽くしているトリノの選手達も素晴らしい日本の若者だと思うのです。
その若者たちの奮闘を、ほろ酔い気分でテレビを観て、メダルに届かなかったからって、沈んでいる場合ではないのです。・・・自戒・・・
トリノの雪と氷にしるされた若者たちの足跡も、歴史に残る「浮かび上がる素晴らしい足跡」のです。



ついでで恐縮ですが、折角なので・・・

湖の氷を突き破って現れた「キノコ氷」
・・・極寒 糠平からトリノの選手達にエールを送ります・・・。

                   画像提供 カモちゃん
2006. 2.19

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幸運のおすそ分け
北海道のあっちこっちで大雪で大変な思いをしているのに、十勝だけは2日に降っただけで、他の地域に申し訳ないほど晴れ渡っております。
しかしながら、放射冷却と強烈な寒気により、気温だけはどんどん下がり、この何日か早朝は
マイナス20℃に接近、完璧に冷凍庫です。

石を削る作業中は、直径34pの大型換気扇3台をガンガン回すので、窓を閉めると酸素がなくなるため、窓は開け外気を入れるしか手がありません。
ストーブは焚いているのですが、ほとんど気やすめみたいなもの、もちろん、冬場の仕事着はスキーウェアーですが、それでもタイムリミットは1時間です。

寒さも、雪も北国に住んでいる者の宿命だと割り切っていたのですが、今年はとにかく度外れに異常です。

・・・そんな低温続きの1月7日。
この日は、真昼の1時だというのに気温があがらず・・・
マイナス12℃

その凍てついた空気の中で・・・私は見てしまいました!

新春の青い空に浮かぶ黒曜石玲瓏のような虹色の雲・・・


 「彩雲」


・・・古来より、この雲を見たものには幸運が訪れる
「吉兆のしるし」との言伝えがあるのです

苦節半世紀、ついに私にも幸運がめぐってくることになりました。

デジカメでの撮影にも成功したので、新聞社にリリースすれば、翌日の地方紙なら一面トップで紹介されること間違いなしのビックニュースだったのですが、万が一幸運の濃度が薄まってはまずいと思いやめました。

だけど独り占めするのは、あまりにもせこいし、もったいないので、
「黒曜石の世界」をご覧頂いているあなたにだけ、そっと「幸運をおすそ分け」することに致しました。
そっとお受け取り下さい。


                2006.1.7. pm1:00  十勝工芸社駐車場にて撮影
2006. 1.9

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キング コング
昨年は、あまりにも下品な事件や事故が続いたし、自然の猛威もすざましいものだった。
直接自分がかかわった訳ではないけど、なんか妙に責任を感じて年末は暗かった。
自分も含めて「日本人なんてこんなものか?」という諦めと、「いや、そんなはずはない!」という思いが入り乱れ葛藤していた。

そんな訳で、「一年の計は元旦にあり」とほとんど使われなくなったことわざに準じ、「正しいお正月」を過ごすことにした。

元旦は、七時半に起床し、おせち料理でおとそ。
テレビの正月番組は最悪なので観ない!
・・・その代わり、我が家族に「初笑いをプレゼント」しようと、密かに購入していたDVD「コント55号40周年記念永久保存版」をかけた。・・・が、反応は今一、マジメに観てもらえなかった。
お笑いをマジメに観ろということには何かムリがあるように思ったので、強要しなかったけど・・・このDVD決して安くは無かったので、辛いものがあった。
その後は、おとそを飲み続けた。

正しい正月の2日目は、文化的に過すこと。
前夜、家族で映画を観に行くことに決めた。
正月映画を家族で観に行ったのは「男はつらいよ」が最後なので10年ぶりくらいだと思うが、正しい正月のパターンだと思った。
観る映画は、もちろん「キングコング」・・・これが文化的かどうかは若干疑問の余地もあるが、全会一致だった。
妻が○○毎日新聞(当地のローカル紙)で映画の上映時間をチェックしたら9時開演だった。 〜えぇッ なんか早すぎるなぁ〜
わが町には映画館はないので、車で50分の帯広市まで行かなければならない。
お正月だから、きっと混んでいると判断し、朝7時に起きて帯広に向かった。
元旦は、完璧に晴れ渡っていた十勝だったが2日は激しい雪だった。

朝8時、上映の1時間前にシネコンに着いて愕然とした。

館内に「元旦の○○新聞で、当館の映画の上映時間が誤って報じられておりました。」との張り紙があちらこちらに貼られていた。

要するにキングコングの上映時間は正しくは9時ではなく10時5分だったのだ。

朝飯も食わずに、正月の2日はるばる帯広の映画館にたどり着いたわが家族は怒り心頭を越えて憔悴しかかっていた。

上映の2時間前、ほとんど人のいない映画館では「5人の掃除のおばさん」が館内を清掃していた。
ほかにすることも無かった僕等の目にとまったのは、清掃のおばさんグループのお一人が、
「鼻に鼻血を止めるティシュを詰めていた姿」だった。
じーと見ては失礼だと思い、できるだけ目を避けようとしたが、見ないようにしようとすればするほど意識してしまうのは何故なんだろ?

キングコングは、第1作はもちろん第2作も観た、今回の第3作はかなりいい出来で結構興奮したが、コングが激しいバトルをするだびに「
鼻血をだすのでは・・・」と余計な先入観が働いてしまい気が気でなく、落ち着いて観る事ができなかった。

元旦に記事を間違って報じてしまった新聞社も、その記事を信じて正月の朝7時に映画を観に出かけた僕ら家族も、2日の朝 頑張って映画館を清掃して下さったおばさんたちも・・・いろいろあるけどみんな頑張っていたのです。
派手な株取引や偽装、経済効率だけを追求してキリキリ生きるより、のんびりゆっくりチョット失敗しながら、ほのぼの生きていける世の中のほうが、よっぽど豊かだと思うのです。

新年明けましておめでとうございます。
   
そんな訳で、本年もよろしくお願い致します。
2006. 1.3

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ジンギスカン
ジンギスカンが食べたい!と思ったら、それが実現するまで、「食べたい・食べたい。」とずーと思ってしまう。
どうして、そうなるのか? ・・・よくよく考えてみたら、子供の頃の体験に起因するように思える。

子供の頃、KIMUちゃんという韓国人の義父を持つ友達がいた。
KIMUちゃんは、遊びに賭けては天才的でクラスの人気者だったけど、時々学校を休んでいた。今で云えば「不登校」ということになるのだろうけど、当時は先生も僕らもほとんど気にしていなかったように思う。

KIMUちゃんの親父さんは、年に一度、綿羊を丸ごと一頭解体し独特のジンギスカンを作ってくれた。
KIMUちゃんは、親しくしている家にそのジンギスカンを届ける係で、我が家もおすそ分けを頂いた。
そのジンギスカンの美味かったこと・・・今はもう「幻のジンギスカン」、ジンギスカンが食べたいと思うと、条件反射によりあの味を思い出し制御不能となるのである。

 ※ 豆知識 条件反射 について
ある反射を起こさせる刺激と、それとは無関係な第二の刺激を同時に与えることを繰り返すと、ついには第二の刺激だけで初めと同じ反射を起こす現象。犬にえさとベルの音を同時に与えつづけると、ついにはベルの音だけで唾液(だえき)や胃液が分泌されることなど。ソ連の生理学者パブロフが発見した。


家族4人が久しぶりに揃ったこの時を逃したら、野外でのジンギスカンは来年の夏まで出来なくなると思い勇気を振り絞って提案した。

あまり乗り気で無かった妻は、「準備も後片付けも皆で最後まで責任を持つならやってもいい」と条件をつけた。
娘は、「買出しも片付けも私がやる!」と断言し、息子は「じゃあ〜付きあってやるかぁ〜」と云った。
テレビのお天気情報は「明日は晴れ時々曇り」、全会一致で、明日の夜は「ジンギスカン」と決まった。

そんな訳で、久々に家族全員で、今シーズン2回目念願の「野外ジンギスカン・パーティ」を開催する運びとなった。

その日は朝から晴れ渡り、暑くも無く寒くも無く風は無風、まさにジンギスカン日和だった。
午後6時、店を閉め、僕と息子は炭をおこしを始めた。
炭は順調に赤々と燃え最高の火加減、肉はジュウジュウいい音をたて焼きあがっていった。
この段階になると、誰もが無口になり、ひたすら自分が目をつけた肉をゲットしていくのである。

焼き始めて15分、「ポッン」ひとしずくが頬をかすめた。
それまで気が付かなかったが、西の空を見たら
真っ黒な雲に覆われていた。

「ポッン・・・ポッン」から「ポッン・ポッン・ポッン」に変わったのに、誰も「中止しよう」と云わなかった。 なんという硬い結束!

結局、僕らは世間の目を気にしながら傘をさし、ジンギスカンを続けた。

     銀の雫はやがてシトシト、そしてザァザァに変わって行った。


久々の「コラム」
・・・「郵政民営化に反対した人が、当選したとたんコロッと賛成に豹変するより   ゛雨が降ってもジンギスカンやった方がましだ!゛」  をオチにしたかったんだけど・・・書いているうちに、次第に冷静になり、このケースには「ほとんど大差ない・・・」 ってことに気づき、落としどころを失いました。

それでも、僕ら家族は、雨で炭火が消えるまで、初秋の宵を楽しんだ!のであります。

    今朝、昨年より24日早く大雪山に初雪の知らせが届きました・・・。
2005.9.21

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クローン牛

飲み友だちの鷲さんから「たまぁ〜に飲もうよと声がかかった。糠平温泉の老舗「湯元館」のオーナーである。

時々誘われていたが、いつも糠平温泉には車で行くので、飲まずに帰ってきていた。

「泊まっていけばいいべさ。」と云われても、宿で宿屋のオーナーと酒を飲んで一泊するってことが、なんか後ろめたく・・・だからと云って、普通に宿代を払うと「友だち同士」というより「お客様」になってしまう・・・それも変だと思うと、後ろ髪を引かれる思いでお断りせざるを得なかった。

それが、今回はなんかふたりで飲みたくて「ふぁ〜」とOKしてしまった。

土産代りに薩摩の焼酎を二本持って伺うと、半袖シャツを着た鷲さんが待っていてくれた。
もうすぐ夏だというのに天候不順で北海道は30℃を越えたと思ったら、突然12℃になったり・・・不穏な日々が続いていた。

この日はハッキリ云ってすごく寒かった!

開口一番、「なんか今日寒くないかい?」と云うので「かなり寒いけど、鷲さん寒くないの?」と聞くと「かなり寒い!」と答えた。「長袖の服着たら」と云うと「そうだなぁ」と云って着替えた。

なぜ、「寒い寒い」と云いながら半袖でいたのか??? 未だに謎なのだ?

朝、釣ったばかりのオショロコマの甘露煮とウドの金平を肴に宴ははじまった。

山菜採りに行って熊に出会ったときの話正しい酒の飲み方から糠平温泉のめざすべき方向十勝の農業問題・・・酔いが回るにつれ・・・話は何故か、だんだん難しくなっていった。

そして、酔いつぶれる直前に出た話が、ちょっと前の新聞に出ていた、霜降り肉のクローン牛の話題。

どう思う? クローンって結構抵抗あるけど・・・牛の霜降り美味いよなぁ。
昔 農家やったことあるけど、霜降りの牛育てるってかなり大変だぞ。
「クローンでみんな霜降りならいいんでないべか。」
肉好きの鷲さんは云った。

さっきまで、妙に意見が一致していたが・・・。

「霜降りって、高いからあんまり喰ったことないけど・・・。」

「クローン牛喰った後どんな影響が出るんだかわからないし・・・。」
「ボクは、ちょっと疑問だなぁ。」
・・これでは、酒飲みの会話としては答えにならない・・・。

かなり酔いも回って来て思考が停止しかかっていた。

だけど「クローン牛賛成派が増えて万が一北海道の牛がクローン牛だらけになったらヤバイ」と思ったボクの脳裏を「うちの十勝石元気くん」がよぎった。

゛十勝石元気くんが、みんな同じ顔の元気くんだったら、お金出して買ってくれる人なんていない。゛

「あのさぁ、やっぱりクローンはやめた方がいい。」

「安いけどまずい肉と、まあまあの肉、高いけど霜降りの肉があるから霜降りは美味い肉ってことになるじゃないの。」

「だけど、全部クローンで霜降りの肉ばっかりになったら、それが普通の肉になって・・・」

「人間だって、頭いいやつ、普通のやつ、ちょっと悪いやつがいるから、頭いいやつが目立つけど、クローンでみんな頭良くなったら頭いいやつが普通のやつになるんじゃないの!」

もう、ほとんど半分眠っていたと思われる鷲さんが、こっくりとうなづいてボソッと一言、「そうだなぁ、みんな俺やあんたみたいなやつばっかりになったら世の中面白くないよなぁ〜。」

この寒いのに「半袖のシャツを着て寒い寒いと云っている鷲さんと一緒にされたくないよなぁ〜」と思ったけど・・・寝た。

・・・爆 睡・・・

朝早く小鳥のさえずりを聴きながらの「湯元館」の露天風呂で、酔いを醒まし朝帰りをしたのでした。

やっぱ老舗の露天風呂は格別だなぁ〜。

2005.7.10

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車社会

札幌で5年暮らしていた娘が、この春 十勝に帰ってきた。

22年ほど川崎で暮らして、突然「北海道に引っ越す」と云った時、娘は小学校4年生だった。バスの乗り方も覚え友だちと都市生活を楽しみ始めた矢先だった。
「えぇ〜、何で? 引っ越したくないよ! 何でお父さんの都合でアタシが引っ越さなきゃならないの? 私はここがいい・・・」

世間一般、「男親というのは娘にはいつまでもそばに居てほしい」と思う様だし、僕もそのタイプだと思われる。まして、13年前のことを思うと、娘の帰郷はあっさりと受け入れる以外になかった。

一ヶ月半ほどの就職活動の結果、なんとか就職できたが、勤務先は40q離れた帯広市。
帯広に住むか、通勤するか・・・とりあえず通勤を選んだ。

上士幌町から帯広市まで、昔は「国鉄」が走っていたが、赤字路線として18年前に廃線、今はバスのみが唯一の公共交通機関である。

一家に二台の自家用車、十勝は全国有数の車社会。゛アメリカなみ゛と云えばカッコイイが・・・
いつしか「十勝」はマイカーを持たない限りままならない生活環境になってしまったのだ。

現在、我が家にも二台の車、一台は僕の普通車、もう一台は妻が通勤に利用している軽自動車、娘が新たに車を持つと、十勝の平均を上回り「一家に三台の保有」となる。

「お父さん、私の車はわたしがローンで買う!」という娘の決意に心動かされ、ならば、車探しだけは応援しようと、協力を申し出て半月、やっと納得の軽自動車を見つけ予約までこぎつけ家族会議で報告した。
その結果、全く予期していなかった結末に我が耳を疑った。

妻は、娘が購入を決めた軽自動車にあっさり賛成。

妻曰く「へぇ〜最近の軽は乗用車なみねぇ〜。」

「私の軽はもうガタガタで限界。修理代ばかりかかるし。」

「3台は要らないね・・・維持費大変だもの〜。」

「そうだ! 私の車、下取りしてもらって、お父さんの車を私が使えば今までどおり2台でいいよね。 お父さん通勤無いし、ほとんど使ってないし!」

「お酒を買いに行く時は、自転車でいけば健康にもいいし・・・。」

・・・反論できなかった・・・。

昨日、娘の軽自動車が届き、ボクは車社会の十勝で愛車を失ってしまった。


黒曜石(オブシディアン)・シルエット彫刻


「国鉄」が民営化され、赤字路線は次々に廃線、今、北海道の鉄道のレール距離は明治時代に逆行してしまったそうだ。

新幹線を札幌まで持ってくるのもいいけど、ボク的にはローカル線復活を望むなぁ〜。

今日のコラム、娘から父の日にプレゼントされた「焼酎」を飲みながら〜ほろ酔い気分で書きました。 それはそれで幸せな気分ではありますが・・・。

2005.6.24

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酔っ払いの自己満足
〜黒曜石の月と地球〜

ボクのお気に入りの一冊に、サイエンスライター野本陽代さん著「月の神秘」という本がある。
この本の表紙に使われている月の写真は本当に魅力的で、表紙を見ているだけで筆者の豊かな感性が伝わってくる。

本の一項に

「漆黒の宇宙空間に浮かぶ小さな青い宝石」
      〜アポロ宇宙飛行士、地球を語る〜

この文章を読んでいると、ボクはもうほとんど宇宙飛行士の気分になってしまう。

折角なので、さわりだけチョット引用・・・

地球の直径は月の約4倍。
もし、夜空に直径がいまの4倍の月が出ていたら、私たちにはひどく大きく見えるにちがいない。
ところが、地球から眺めた月とはちがい、大気のない月から無限に広がる漆黒の宇宙空間に浮かぶ地球を見るといかにも小さく見えるという。
地球全体を一望のもとに見た彼らは、こう語っている。

「地球を離れて、初めて丸ごとの地球を一つの球体として見たとき、それはバスケットボールくらいの大きさだった。それが離れるにしたがって、野球のボールくらいになり、ゴルフボールくらいになり、そして月から見た地球は大きめのビー球の大きさになってしまった。はじめはその美しさ、生命感に目を奪われていたが、やがて、その弱々しさ、もろさを感じるようになった。宇宙の暗黒のなかの小さな青い宝石。それが地球だ!」・・・・・・。
                      
引用 野本陽代著「月の神秘」より抜粋

アポロ宇宙飛行士の話はさらに続くのだが、語られている光景を生涯見ることができないボクは、妄想にふけるしかなかった。
そして・・・行くことができないなら作るしかない
いつしか「黒曜石の世界の中でこの光景を描いてみよう!」と密かに企みはじめてしまった。  (血液型Bの宿命?)

とりあえず、黒曜石で地球を作ることにした。
数ある原石の中から雲のような灰色の模様の入った黒曜石を選び、原石の深いキズを落としながら球体に研磨し続け、直径14p 質量3.38sの地球が完成したのは2002年の11月だった。

「次は月だ!」と決意しながらなかなか制作モードになれず・・・なんせ、月の場合は地球と違い詳細なデーターが無い・・・ネットを歩き回りやっと見つけたNASAが公開した最新のデーター・・・地球完成から2年5ヶ月、やっと「黒曜石の月」が生まれた。

直径8.5p 質量780g黒曜石の月は、ソフトボールくらいの大きさに仕上がった。

さっそく、生まれたばかりの地球と月をギャラリーに展示し、来店されたお客様の感想を期待した。
地球に興味を持ってジィ〜ッと凝視してくださった方は数人、しかし期待に反し月はかなり目立つところにおいてあるのにほとんど無視された。

太陽の光で明るく輝いている月を見慣れたボクらには、黒曜石の光沢を全部消して凸凹した月はかなり地味な存在・・・。
灰色っぽい球体にボコボコ穴が開いている変な石にしか見えないのだから仕方がないと納得するしかなかった。

でも、この「黒曜石の月」、真っ暗なギャラリーの中で、太陽の変わりに200Wの電灯で照らし、デジタルカメラに収めると、なんとなく夜空で光っているあの月になるのです!


黒曜石(オブシディアン)の月と地球 ツーショット
ほとんど自己満足の世界にはまりながら、こんな時作者は、酒でも飲みながら二つの天体に挟まれて宇宙飛行士の気分になるしか無いのです。
そして心行くまで飲み明かすのです。
「月見」「地球見」を同時にやりながら、チビリチビリ飲んでいるうちに、身も心も「宇宙遊泳」状態になるから幸せです。

21世紀の中頃、子供たちの時代か孫達の時代には、普通の人が月の「静かな海」あたりで一杯やりながら「ビー球くらいの青く光る小さな宝石〜
地球〜」を見ることができるとボクは思うのです。

軍事費や戦争に膨大なお金を注ぎ込むなら、科学や宇宙開発に使うほうがよっぽど夢があると思うのだけど・・・。

ちなみに「黒曜石の地球」には、竹島も沖ノ鳥島も尖閣諸島もケンカの元になるので入れませんでした!
それでいいジャンと思うのです。
2005.4.21

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チロンヌップ
わが町には、2種類の北キツネが生息している。

1種類は、いわゆる
「おねだりキツネ」 道路の端にいて、車が近づいてくるとゆっくりと道路の中央に移動して可愛いポーズで座り愛想をふりまくあいつ。
ヤツのターゲットは、もちろん観光客、「キツネに餌を与えないで・・・」の看板は見ていると思うけど、止めた車のすぐそばまで寄って来て愛想をふりまかれるとついつい「お菓子」を与えてしまうのだ。

昔は、僕もそのタイプだったので偉そうなことは云えない・・・。
この
「おねだりキツネ」、ファーストフード風の食生活と引き換えに、狩の能力をどんどん失い、厳しい冬を乗り越えることができない「北キツネ」

最近は夏のシーズン中でも「野生動物に餌を与えていけない」という人間側の世論も高まり、
「おねだりキツネ」たちにも意識改革が求められているらしい。


もう1種類は、
「正しい北キツネ」・・・ヤツに会うと「おねだり」とはまったく別の動物ではないかと思うほど野性的。
鋭い目と牙を見せ付けられると「ハンター」だと、あらためて認識させられる。

3月初旬、関東は大雪だったというのに、十勝は寒いけど青空が広がっていた。

せっかくの休み、ゴロゴロしてるのも勿体無いのでデジカメをもって清水谷の丘に向かった。

この丘はお気に入りの場所で、ひがし大雪の山並みをみるビューポイントのひとつ。
3年前に雪原で狩をしていたキタキツネをみたのもこの丘だった。
あの時と同じ場所に車を止め丘に登りはじめた瞬間、偶然にも「北キツネ」が現れたのだ。
あの時のヤツかどうかは定かでないが、フサフサの冬毛に覆われた凛々しいキツネだった。

するどいヤツの目は、まちがいなく僕をにらみつけていた。
大人気ないと思ったけど、こうなったら負けられないと思いにらみ返した。

人っ子ひとりいない雪原で繰り広げられた
           「キタキツネVS元気くんにらめっこ


僕をにらみつける「正しい北キツネ」
   ・・・息詰まる沈黙・・・

3分ほどにらみ合っていたが、ヤツは一瞬目をそらし空を見上げて静かにその場を去った。

このバトル、
「勝った!」と思った。
・・・しかし、遠ざかるヤツの姿には、敗者の惨めさは微塵も無く、むしろ威厳に満ちていた。

・・・お前なんかに係わっている暇は無い!・・・

野生は無駄な時間を過ごさない、要するに、餌にもならない僕は無視されただけだった。

バトルが終わり、黙ってその場を去るのが礼儀と思われたのだが・・・。
つい「ルゥ・ ルルルゥ〜」と発してしまった。
「ルゥ・ルルルゥ〜」あのテレビドラマ「北の国から」で蛍ちゃんがキツネを呼ぶアレ・・・。
これをやらなきゃ、とりあえず引き分けで終わったものを・・・。

くやしいけど敗北を認めざるを得なかった。


極寒の冬を生き延びてきた野生の北キツネに敬意をはらい、
「人間だって、企業だって観光地だって与えられた美味そうなものに飛びつき始めたらおねだりキツネと同じ運命をたどるんだよなぁ〜。」 とつぶやきながら雪原を走り出した北キツネを見送った。


アイヌの人々は北キツネを
チロンヌップ(どこにでもいるやつ)と呼んでいた。
とっても美しい響きの呼び名ですが、「どこにでもいるやつ」っていう意味だと知ってなぜか妙に納得してしまった。


この夏、北海道を旅して「チロンヌップ」に出会ったら、本気で「にらめっこ」してみて下さい。
2005.3.6

きまぐれコラム 目次

帯広発〜羽田行
新年早々、以前働いていた職場の友の「偲ぶ会」に誘われ、7年ぶりに川崎市(神奈川県)に帰りました。
川崎は、青春時代から22年間を過ごした街だから僕にとっては第二の故郷・・・そんな訳で「行く」というより「帰る」って云う気分・・・なのです。
その日が近づくにつれ、期待はどんどん膨らむのですが、一つだけ不安が・・・。

実は僕、飛行機が・・・嫌いなのです。
津軽海峡はできればフェリー、あるいは「北斗星」で青函トンネルを通ってノンビリ行きたいのですが、限られた休暇では、飛行機に乗って空を飛ぶしかないのです。

滑走路の端っこまでゆっくり移動し、一端停止した後、エンジンをガンガン吹かし「飛ぶぞ飛ぶぞ」と一気に走り出すあの瞬間の恐怖、猛スピードで滑走路を走りぬけフワァ〜と浮き上がった時の気持ちの悪さ、グングン上昇しながら、突然 ガタン・・・車輪を収納する音・・・。

本当は、上昇中に説明しないでほしいと思うのだけど・・・「非常用の酸素マスクと救命胴衣の使い方」を丁寧に説明してくれる客室乗務員の奇麗なお姉さんのお話しはいつもマジメに聞くことにしてます。
だけど僕はこの時、飛行機に乗った以上、墜落することがある事を強く認識させられてしまうのです。
で、そのあと、やっと水平飛行に入ったと思ったら、機長さんの声「この飛行機は、高度12000mを時速750mで飛行・・・途中気流の乱れで揺れることもありますので、シートベルトは着陸まで必ず着用下さい。」と云われると、ヤッパリと思ってしまうのです。

人は、恐怖感を味会うと緊張のあまりトイレに行きたくなるものです。

帯広から羽田までは1時間30分のフライト、離陸から15分たらずで恐怖のどん底に追い込まれた僕は、トイレに行きたくなってしまいました。
でも、離陸したばかりなので、少し我慢しようと頑張っていたところ、飲み物をサービスしてくれるお姉さんに「いかがですか?」とやさしく声をかけられ、反射的に「コーヒーお願いします。」と云ってしまいました。

窓側の座席の場合、コーヒーを折りたたみ式テーブルに置くと、、飲み終えない限り席を立てないと云うことに気づいた時は手遅れでした。
飲めば、辛くなるのはわかっていながら、「頂ける物は貰わなければと、即反応してしまう卑しい性格」。
となりの席に座っていたお客さんが、寝たふりしながら、時々薄目を開けて僕を見て笑っていたような気がしました。
いくら隣の席の人とは云え、見ず知らずの方に「トイレに行きたいので、コーヒーカップちょっと持っていて下さい。」とは云えませんでした。
飛行機に乗っている恐怖+オシッコを我慢しながらコーヒーを飲まなければならない苦痛、二重苦に耐えぬいてたどり着いた7年ぶりの東京・羽田。
飛び立つ時と、降りたときの気温差は20℃、寒冷地仕様の身に東京は初夏のようでした。。

久しぶりに再会した友人達は昔のまんま、とっても暖かく迎えてくれ、懐かしく楽しい時間を過ごしました。

ただ、田舎暮らしにすっかり馴染んでしまった僕にとって、わずか7年ほどの間に様変わりをしてしまった街の変貌ぶりは驚きでした。

おりしも、阪神淡路大震災から10年、テレビの報道は、その教訓を被災された方たちの体験談と映像を駆使して伝えていました。
故郷の街はそんな教訓に逆行するかのように高層ビルで埋め尽くされていました。
3階以上の建物が無い上士幌の街で暮らしている僕は、高層ビルの谷間を歩きながら、今地震が来たらどうなるんだろうと・・・ビルを仰ぎながらつい不吉なことを想像していました。

帰宅した日の深夜、突然、釧路沖地震 厚岸は震度5強・・・幸い僕のところは震度2で被害は無く、それはもう不幸中の幸いでした。

年の初め、僕はそんな時間と空間を旅してました。

荒ぶる大自然の神よ、今年は少しだけでいいから静まりたもれ!
 
アーメン & 南無阿弥陀仏!
2005.1.23

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妹 パンダ
三人兄弟の僕は長男、三番目の妹は、わが十勝工芸社で一緒に仕事をしている相棒、真ん中は神奈川県在住の長女であだ名は「パンダ」
なぜ「パンダ」かと云うと、黒曜石のモモンガを見て「これ、なに?・・・パンダ?」と云ったことに起因する。
お客さんに「リス?」と聞かれたことはあるけど、「パンダ」って云ったのは、後にも先にも我が妹だけだった。
我が家系は、体長はだいたい「ヤセ型で性格はマジメ」なのだが、何故かパンダだけは体形も性格も例外。

昔の話だけど、パンダは独身・OL時代、仕事て゜外出の機会があると、仕事をサボって「芸能人の追っかけ」をしていたという類の話を誇らしげに語るタイプ。
タモリの「笑っていいとも」のスタジオの客席にパンダがいたという噂もあった。
高校時代は、バーレーボール部に所属、「バスケット部にいた一級後輩の「松山千春」(歌手)は、いつも私を意識していたようだ!」などと平気で姪・甥っ子たちに云いふらしていたこともあった。
ちなみに、今はキムタクのファンらしい。

そんな訳で、この妹、過去十数年病気をしたという話は一切なかった。が、異常に暑かった夏の終わり「原因不明のめまい」を訴え入院した。
健康そのものと思っていただけに、兄貴としてはかなり心配したが、よい医師に巡り合い今は順調に回復しているようだ。

ただ、病の原因に家系のDNAを揺るがす大きな問題が残った。

医師に、「検査の結果、あなたは糖分の取りすぎで、脳が弱っている!」と云われたそうだ。
その病状の説明に医師は、CTで撮ったパンダの脳と72歳の健康な老人の脳を比較し、いかにパンダの脳ミソがスカスカ状態にあるのかを見せつけ、家中の砂糖を廃棄するように命じたとのこと。
で、パンダ本人は、健康な脳と自分の脳の違いを理解したようで、普通なら、そうとうショックだと思われる話なのだか、そのことを電話で報告しているパンダの声は明るかった。
話を聞きながら僕は「モモンガをパンダと云ったあの頃から、やっぱり弱っていたか」と妙に納得した。

妹・パンダは、子供の頃から僕のことを「オニイ」と呼んでいた。

オニイ、気をつけなぁ〜 オニイのもの忘れの症状、私と同じだよ。きっとオニイの脳ミソもスカスカだと思うよ。
コヒーに砂糖入れてる・・・?」 「あぁ〜、それはダメだ・・・脳 かなりダメになってるなぁ。
 ・・・よけいなお世話・・・だと思いながら・・・。
僕はコーヒーにはスプーン一杯の砂糖を入れて、一日三杯飲んでいる・・・。と云うと、 フフフッ、砂糖はやめた方がいいなぁ〜・・・フフフッ
オニイ、悪いことは云わない一応、脳のCT撮ってもらいな! きっと、私と同じだと思うなぁちゃんと検査したほうがいいかも・・フフフッ・・・
と、パンダは、不吉な笑い声を残して電話を切った。

夕食を食べながら、妻にこのことを伝えると、うなずきながら 「ひと事じゃないね。そうそう、工房の冷蔵庫に味噌をいれてあるから、明日の朝、もって来て・・・忘れなければネ・・・フッフッフ。」

・・・こんなこと別に気にしているわけじゃないけど・・・
全く気にしてないのにサ
なぜか、今朝の仕事前のコーヒーはとりあえずブラックで飲んだ。

外に出ると気温はマイナス7℃、半年ぶりの冷たい空気に触れ、久しぶりに脳はピシッと張りつめていたような感じがした。


2004年も、あとひと月かぁ〜。
2004.12.1

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バカは風邪ひかない!・・・と思う?
誰が決めたのかは知らないけれど「バカは風邪ひかない」っていう名言には結構こだわっていました。
僕の場合、過去3年間にわたり、風邪をひかずにいたため、もしも、このまま風邪をひかずに生き続けた場合、そのレッテルを貼られてしまうのではないかと、内心不安な日々を過ごしていました。

そんなおり、
♪♪ 風邪にはコルゲン の〜どの痛ぁ〜みと・ねぇ〜つを抑える・お薬です♪♪・・・

僕はこの製薬会社とは何の関係もないのですが・・・
切り株のピアノの上、あの臍のないカエルと鈴木杏が楽しそうに歌っているCM。
「このコマーシャル、いいなぁ〜・かわいなぁ〜」と思ってテレビを観ながら寝たら、
翌朝風邪をひいてしまいました。
本格的な風邪を3年ぶりにひいた僕は、なんか新鮮な感動と安心感を覚えました。
今では、「バカは風邪ひかない」〜これって結構正しいことわざだったと確信しております。

たいして熱も無いし、こんな風邪はすぐに治るだろうと甘く考えていたのですが、しだいに、喉の痛みから始まって、鼻水、咳、痰と段々エスカレート。

2日目、熱は無かったのでとりあえず仕事をし、一杯飲んで早めに寝たんだけど、翌日は鼻水&咳が止まらずついにダウン。

3年間も風邪をひかずにいると、過去の風邪体験は記憶から遠のいてしまい、肉体の変化に対し、適切な制御ができなくなり・・・「酒でも飲んでぐっすり寝れば治る」程度にしかとらえられなくなるのです。

そんな「初動の判断の甘さ」が最悪の事態を招いてしまいました。

3日目の夜、ゲホンゲホンと激しい咳をしながら、さっさと寝ればいいのに、初回から一回もかかさず観ている大河ドラマ「新撰組」を観てしまったのです。
このドラマ、観ていない方には分からないでしょうが、沖田総司は、この数週間、毎回大事な仕事が終わった後で、ゲホンゲホンと咳をし血を吐いて倒れるのです。

「B型・おうし座・寅年」の僕は、平常時はかなり身勝手に元気に生きているのですが、チョットつまづくと「ガクン」ときて、一気に「もうこれで終わりかも・・・」と悪いことばかり考えるタイプ。今回の場合、気分はその暗い方向に向ってしまったのです。

だからと云って、自営業・・・。簡単に仕事を休むわけにもいかず、ダラダラと風邪をこじらし、完治するまでにひと月もかかってしまいました。

治りかけたころ、町の観光協会の会議があって、ゲホンゲホン咳をしながら出席していたのですが、相変わらず咳をしている僕に、役場の友人
がご親切に「バカは風邪ひかないということわざが生まれたルーツを」語り始めたのです。
もちろん、風邪をひいた僕には一切関係のない話なので聞き流しました。

きっと、コラムを読まれた皆さんは、「人が風邪をひいた話なんてどうでもいい。」と思ったに違いないと想像しておりますが・・・。はっきり云って、今年の風邪はそんなに甘くはないのです。
「今年の風邪は、こじらすと結構ダラダラと長引く」とお医者様が云っておりました。
季節の変わり目、お疲れ続きの日本、くそ暑かった夏を頑張り続けたお身体、くれぐれもご自愛下さいませ。

何事も、
「初動の判断」を誤らないことが肝心です
2004.11.2

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クモの糸 〜残暑お見舞い申し上げます
去年の夏30℃を越えた日は一日もなかったのに、今年は北海道も7月の下旬から猛烈な暑さにみまわれておりました。
わが町でも、7月31日の34.2℃を最高に30℃を越えた真夏日が11日間・・・本州の方からすれば「だから、どうした?」「それ位で騒ぐんじゃない!」と云われるとは思うのですが、マイナスの温度に順応するようにセットされた「寒冷地仕様の身体」、クーラーも扇風機もない我が家では、それは地獄だったのです。

暑さのせいかどうか、定かではないのですが、工房の周辺では、クモが活発に活動しいたるところに巣を張り巡らしたのです。
そして猛暑でぐったりしている僕は、そのクモの網に何回も引っかけられていたのです。
クモの糸がベッタリと顔や髪の毛に絡みついた時の不快感は、「飲みすぎて二日酔い」になった時と同じくらい気持ち悪いのです。
繰り返しやられたので、後半は細心の注意を払い、やられる前にクモの網を小枝で払い落とすのですが、クモにもクモのプライドがあるらしく、翌朝また同じ場所に同じように、ちゃんと網を作っているのです。

この暑い中、クモは毎晩網をつくり、僕は毎朝その網を壊す・・・お互い意地の張り合いを一週間ほど繰り返しているうちに、アテネ・オリンピックが開会されました。

はっきり云って、グロテスクなクモは大嫌いだったのですが、競い合っているうちに、妙に親しみを感じはじめ・・・、「壊しても、壊しても、クモ網を作り続けるクモ。いったいヤツは、いつ、どんな風に作っているのだろう?」と好奇心に駆られ始め、よせばいいのに、それを見届けようと、ヤツの縄張りにデジカメスポットライト
焼酎を持ち込み観察を始めました。
待ち続けること30分・・・ほぼ暗くなった夜7時半。

ヤツは倉庫の屋根の軒下から、スゥ〜と一本の糸をたらし下りてきました。

ライトをあてると、さすがに動揺し糸をつたって上に昇って姿を隠しましたが、しばらくして、またスゥ〜と降りて活動を始めたのです。
その後、ヤツは僕の存在を無視し、真剣に網づくりを開始しました。

計算しつくされた手際よい動き、みるみるうちに織り上げられていくクモの網・・・。
その見事な仕事振りに圧倒され、目は点になっていました。
スゥ〜と降りてきてから、約1時間、ほぼ5割ほど網は張られました。

ちなみに、背景は自宅。


暗闇に浮かび上がった「クモの網はまるで宇宙」のような美しさ!

職虫技に見とれているうちに、いつしかほろ酔い気分になり、しだいにヤツが友だちのように思えてきました。


網の制作を始めてから3時間、700mlの焼酎のボトルの3分の1を飲み終えた頃、ヤツは見事な網を完成させ、そぉ〜と暗闇の中に身を隠してしまいました。

工房の温度計をみたら17℃
クモの網づくりを見ているうちに、異常に暑かった夏の夜も去って、普通の北海道の夜になっていました。
仕事が一段落して休みがとれたら、僕はきっと「スパイダーマンU」を観に行くだろうと思われます。

   残暑お見舞い申し上げます。
2004.8.15

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実は、わが町の7割は大雪山国立公園で、ヒグマの生息地なのだ。
だから、熊が出て当たり前なんだけど・・・。
その熊が、民家近くに出没すると、役場から
「熊出没注意!回覧板」が回って来るのです。
今年は、まだ回覧板は回ってきませんが、どーも、観光の人気スポットになっている「北海道遺産・タウシュベツ・アーチ橋」付近に、熊の親子が出没しているらしいのです。
7月に入って、三組の観光客から
「熊が出た!」との情報が寄せられているが、幸い流血バトルにはなっていない模様です。
もっとも、熊の立場で考えてみたら、「オレ達の縄張りに、随分人間たちが入り込んできて治安が乱れている」と考えているに違いない・・・のです。

そんな訳で、この季節、ひがし大雪の森を散策する時は、必ず熊よけの鈴を付け、歌でも歌いながら入って下さい。
熊は、本来、とてもやさしく臆病な動物ですが、
「人生いろいろ」、「クマだっていろいろ・・・」 で人間を見ても無視するヤツもいれば、突然、気が動転しバトルしちゃうヤツもいるのてす。
もちろん、僕は結構森に入っていますが、未だに一度もお会いしたことはありません。
(ちなみに、その場合、僕が歌っているのは「森のクマさん」です。)
 





人生いろいろ
・・・
クマだっていろいろ・・

黒曜石(オブシディアン)彫刻
「熊の話」になると、我が家には楽しい「エピソード」があり、この季節になると、僕は一杯飲みながら、その時の情景を懐かしく思い出し「酒の肴」にするのです。

熊にまつわる我が家のエピソード・・・回想・・・

それは、この町に住んで二年目の初夏、9年前のことだった。
当時、娘はまだ小学6年生、息子は2年生、妻と私の4人で、ひがし大雪・十勝三股の森の林道をドライブしていた。
鬱蒼とした深い森、車の中での、2人の子供と妻との会話は傑作で、我が家の知的水準を示すバロメーターになっているのです。


 
息子: 「お姉ちゃん、熊は英語でなんてーの?」
 娘
: 「ベア−」

 息子は突然車の窓をあけ大声で「ベア−、ベア−」と呼び始めた。

 娘
: 「ぱーか!ほっかいどーの熊よ、英語で呼んだってわからないよ」
 息子: 「じゃ、なんて呼べはいいの?」
 娘
: 「日本語でクマって呼ぶの!」

 妻 ・・・助手席で「そうよ」と小声でつぶやいたように聞こえた。

 息子と娘は、その後、大声で「クマー 熊ー くまー」と呼び続け、私は私でなんとなく納得し運転していたが、しばらくしてなにか腑に落ちないものを感じはじめていた。
その時、娘が言った「クマって日本語わかるのかなぁー???」
    ・・・・・・・・


この時も、きっと熊の親子は、すぐそばで、僕達ファミリーを観察していたと思うのです。
ひがし大雪の森は、熊たちのカテゴリー、森の中では、「人間はよそ者だ」と心に刻み、熊たちの生活を乱さぬよう心してお入り下さい。
2004.7.19

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グローバルな宴会
秋田の友人K氏から、突然、「明日伺うから宿取っておいて」との電話があった。
彼は、27歳でドイツに渡り、本場のチーズづくりの修行をしてきた職人。
一時、足寄の山の中で、廃校をチーズ工房に改造し研究をしていた。
その後、訳あって秋田に帰郷し、本格的にチーズづくりに励んでいるが、2年に一度は北海道を訪れ、その度に一献をかたむける仲である。
ものづくりをしているということで、本音で言い合える友の一人。
その彼が、今回は、昔世話になった「ドイツ人」と一緒に遊びに来た。

わが工房には、これまでも「アメリカ」「オーストラリア」「フランス」「スウェーデン」「カナダ」「中国」「韓国」など7カ国の外国人が訪れている。
結構、わが工房も国際化している?! が、「ドイツ人」は、初めて。
しかも、旅館に泊まり、一杯飲めるとなると、興味深々だった・・・。

宿は、ごひいきの温泉民宿「山湖荘」
料金は安いが、風呂、食事、部屋、三拍子そろった糠平温泉の隠れた穴場である。

気温18℃初夏の夜、避暑地・糠平「山湖荘」の温泉豆腐は最高!
ゆったりと洞窟風呂につかり、宴がはじまったのは午後7時30分。
当然、生ビールだと思ったら、「僕、水でいいです。」 ビールの本場ドイツなので、ガンガンいくのかと思っていたら肩透かし・・・それでも宴は盛り上がった。
さすが、K氏はドイツ語がペラペラで、通訳してもらいながら、僕は、「国際会議に参加している北海道代表」って雰囲気で楽しんでいた。

十勝平野とドイツの風景がとっても似ていること、ドイツには温泉があまりないこと、日本人の感性とドイツ人の違いや、ものを作るときの考え方の違い・・・から、ベルリンの壁の崩壊、ドイツの経済事情、イラク戦争に対するドイツの立場など、国際的な宴会にふさわしい多様なテーマで語りあった。

一気に国際化した僕は、しだいにドイツ語をいとも簡単に通訳する友が、羨ましくなり始めていた。

たま〜に、店に来られる外国のお客さんに、僕が唯一使う英語は、「ウェルカム」「アイ・キャンノット・スピーク・イングリッシュ」「「ジィス・イズ・アン・オブシディアン」・・・・・・。
このままではダメだ! 国際化の波に乗れない! と、常々苦しんでいたので、思い切って聞いてみた。

「今からでも、勉強したら英語位話せるようになるかなぁ?」
・・・。
間髪をいれず「年齢的には、もう無理だと思う!」と云われた。
友だちなら、もう少し、暖かい云い方があると思ったけど、断言されたのであきらめざるを得なかった。

翌朝、彼らは工房に立ち寄り「縄文の石器づくり」に挑戦した。
苦闘の末、やっと割れた剥片を大事そうに新聞紙に包み、嬉しそうに帰って行った。
石器の作り方は、言葉が通じなくても、結構伝わると云うことに満足した。

古代の人々が、言語や文化の違いを超えて、「石器づくりの技術」を広げていった一端を垣間見たような気がして、なんだかとても嬉しくなった。


ついでですが、ドイツでは黒曜石は「オブシディアン」ではなく、Vulkanisches Glas(天然ガラス)と呼んでいるとのことでした。
2004.7.8

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あざらし日和の
温泉日記
舘浦海豹(あざらし)・・・ちょっと、いや、かなり変わった名前なんだけど・・・「北海道いい旅研究室」っていう温泉雑誌の編集長で、道内の温泉好きの間では「注目のライター」。
その本、1999年に第1号が出版されて、6号まで不定期に出版されているんだけど、すぐに売り切れるので、手に入れるのは至難の業なのです。
温泉好きの僕の場合は、その1号から6号まで全部持っているのです。

その
あざらし君が、初めて「ギャラリーショップ十勝石」に現れた。
初対面状態なのに、目一杯会話をして、「元気くん」を2個買って行かれました。

それから数日して、電話が入り、朝日新聞の夕刊に「お店のこと少しだけ書かせてもらったので・・・。」とのこと。
えぇ〜、あれ取材だったの? 
なるほど、噂に聞いていた「アポなし取材」って本当だったのだ

モノづくりをしている僕にとって、その記事は素敵なエールに思え、一杯飲まずにはいられませんでした。

そんな訳で、記事全文紹介させて頂きました。
ちょっと長いけど・・・ヒマな時にでも読んで下さい。
  あざらし日和の温泉日記
    〜ヨサコイ脱出 桜風呂大作戦〜

 ばっきゃでないの。と思った。というか口にしたのだ。
 というのは昔から運動会は6月の第二日曜日と決まっている全道各地の小学校の一部が、今年は一週早めたり、遅くしたりしているんよ。
 理由は「ヨサコイと同じ日は困ります」という親からの申し入れに学校が屈したからだってさ。ばっきゃでしょ。
 そもそもヨサコイ(正式にはローマ字で書くんだろーけど、字数がもったいないから片仮名で十分なのだ)って、道外出身の暇な大学生が「北海道には祭りがない」とか訳の分からないこと言って始めたことに、暇な学生や子供、主婦、企業、地元テレビ局なんかがのっかっただけの営利イベントで、祭りと自称しているけど、豊作や大漁を祈願するわけでもなけりゃ、森羅万象の神々に感謝するわけでもなんでもないのです。
 それどころか、毒々しい色と悪趣味な音と匿名的な群舞を武器に、まるで外来魚の様な図太さで在来の素朴な祭りを食い荒らしているのだ。
 これって、派手な幟(のぼり)をずらーと立てているラーメン屋に旨い店がないことや、国道に向って旗を振りまくっているガソリンスタンドには絶対に入りたくないぞ、と思うことと微妙に関係あるのかな。と思いつつ、おいら。今年もヨサコイ期間中は札幌を脱出したのでありまする。

 桜なのです。6月なのに桜が咲いていたのでありますよ。
 何気なく立ち寄った幌加温泉「鹿の谷」の露天風呂脇に。

 せっかく天気もいいし、機材もあるから写真を撮ろうかなぁ。でも、モデルがいないなぁ。困ったなぁ。どーしよう。と聞こえるように独り言を言っていると、宿のスタッフの鴨作知弥氏(もうすぐ29歳)がそーっと通り過ぎようとしたので、そこは素早く捕まえて、強制的に入浴モデルをしてもらったのでした。
 さてと、用事も済んだし、そろそろ次の町に行く時間だなぁ。と立ち上がると、宿主の梅澤田鶴江さんに「あら、今日は温泉入って行かないんですか」と言われて、おいら。原稿依頼とデートの誘いは断っても温泉の誘いは断らない主義ゆえ、露天風呂で、どっかのおばちゃんと混浴したんだけど、本当に真実気持ちよかったんよ。最高っす。
 やっぱ鹿の谷はいいなぁ。清燈にそっと佇んでいるって感じで、けばけばしさがないもんね。と、湯気をのぼらせながら上士幌の町を走っていると、おおっと。ここにも静かに佇む建物を発見。
 ギャラリーショップ十勝石と書かれた建物に入ると、真っ黒い石で作られた工芸品が並べられていて、なんだかとても落ち着く雰囲気なんよ。
 どうしてこんなに落ち着くのかなぁ、と考えてみて気づいたんだけど、どの作品も形や表情が違うのですね。
 派手な衣装を着て、集団で没個性的に動くヨサコイとは対極の美学がここにはあるのでした。
そーらんそーらん。



(北海道いい旅研究室 編集長 舘浦海豹)
4.年6月17日 朝日新聞(夕刊・道内) より
2004.6.20

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未完の「ぐい飲み
根が「酒好き」なので、「ぐい飲み」を制作している時の心境は、かなり不純な気がします
何故か、制作中に、・・・完成したら友達よんで宴会やろ〜・・・と思っている自分がいるのです?!

この
「ぐい飲み」、実は6年ほど前に苦労して第1作を作り、それから5個程作って制作を中断しました。
当時、石に穴をあける技能は、かなり未熟で、失敗の連続でした。
にもかかわらず、飲み友達が工房に遊びに来ると、やっと完成した
「黒曜石のぐい飲み」をつい見せびらかしたくなり、それで一杯やってしまうのでした。
「このぐい飲み、気に入った!」などと云われると、酔った勢いでプレゼントしてしまい・・・。  酔いが醒めた時に後悔するのですが後の祭り。

2004年、6年間の沈黙を破り、再び
「ぐい飲み」作りを再開しました。
理由は単純なことで、やっぱり僕は「お酒が好き」だからなのだ
と思われます。
 いろいろ理由を考えましたが、それ以外考えられませんでした。

固いけど掛けやすい黒曜石
(オブシディアン)に穴を開けるということは、至難の業、数ある工芸品の中でも、今のところ穴をあけた作品となると「リング」「ぐい飲み」、たま〜に作る「花器」だけです。
で、今日は、その「ぐい飲み」づくりをしていたのですが、穴を開けている途中で破損
見事に割れた「未完成のぐい飲み」・・・じーと見ていると、なんだか、とても愛おしさを感じてしまいました。  (涙)

ホームページを開設して以来、振り返ると、未完成のまま日の目を見なかった石は一度も紹介していませんでした。

もう少し、肩の力を抜いて作業をしていれば、きっと素敵なぐい飲みになったであろう
「未完のぐい飲み」

その
残骸に心動かされ、今夜は、割れた石を前に「供養の酒」を飲み「きまぐれコラム」を書きました。
2004.5.8

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運転免許証 更新
先日、5年ぶりに運転免許の更新のため、帯広運転免許試験場に行って来た。
前回までは、無事故・無違反の
「ゴールド」だったのだが、昨年の春、知床に行く途中でスピード違反、悔しくも名誉ある「ゴールド」の称号を失ってしまった。

わが町から帯広の試験場までは車で50分程。
午後の受付時間は13時〜14時。
そもそも、僕は自称ゆっくりノンビリ運転手、早すぎると思ったけど、5年に一度の更新なので万全を期して10時に家を出た。
案の定、早すぎて2時間前に着いてしまった。

試験場は、帯広の郊外・十勝川の近くにあり、南西に日高山脈、北に大雪山の山々がとってもよく見えるところにある。
前日、大風が吹いたせいか、空気が澄み、この日の日高はとっても美しかった。
たっぷり時間があったので、十勝川の河川敷に行き、山を見ながら、久しぶりにボ〜とした時を過ごした。 

すっごく いい時間だったのに
・・その後事態は急変した・・・

受付1時間前に試験場に入り、更新の申請書を書こうとペンをとった。
一番最初に記載する項目は、「申請日」〜いわゆる今日の日付だった。
平成16年4月とまで書いてペンが止まった。

今日が何日だったか、全く思い浮かばない。

月曜日ということは分かるのだが、いくら考えても4月?日かが意識から完全に喪失してしまっている。
そうだ! 4月1日が何曜日だったかが分かれば、なんとかなると思ったけど、それも思い浮かばなかった。
隣で申請書を書いている人がいれば、カンニングできたのに、あまりにも早すぎたので他には誰もいない。
やむなく、施設のどこかにカレンダーが貼ってあるのではないかと探しまくったが・・・無かった。
一応、腕時計はしていたけど、カレンダーは付いていない
やむを得ず、十勝工芸社(我が社)に電話し聞こうと思ったが、試験場には公衆電話も見当たらない。携帯の普及で、公衆電話は不要な産物になっていた。

「携帯電話」・・・今まで、隠していたわけではないけど、僕は未だ「ケータイ」を持っていなかった。
一体、今日はいつなんだろう?

昼休みの受付には、昼当番と思われる係り員さんがひとりポッンと座っていたが、大の大人が「今日は何日ですか?」と聞くことには、かなりのためらいがあり出来なかった。

今日は4月何日なんだ!

記載カウンターに座ったまま、苦悩している僕の後姿を見て、係員さんがついに声を掛けてくれた。

係員さん: 「具合でも悪いんですか?・・・」
僕: 「ハイ、 あの〜 いいえ・・・」 

・・・プライドが邪魔をし「日にちを忘れた」とは云えなかった。

係員さん: 「書き方わからないんですか?」
僕: 「ハイ、あの〜 書き方は分かるんですが・・・」
係員さん: 「


 
決断! これ以上考えていても結論は出ない。「勇気を出して分からないことは、素直に聞こう!」

僕: 「あの〜、すみません。今日って何日でしたっけ?

予期せぬ質問に、係り員さんは即答出来きず、「4月19日ですよ」と答えるまでに、微妙な時間差があったように感じた。

こんなこと云える立場ではないのだけれど、係員さんも一瞬「あれ、今日は何日だったっけ?」と自問したような気がしておかしかった。

そんな訳で、あとは氏名と住所を書いて申請書は完成。その後は極めてスムーズ、視力の検査、写真撮影、講習を無事に終え、僕の運転免許証は無事に更新された。
・・・次回更新時には「絶対日にちだけは確認して家を出よう」と心に誓った・・・

そんな僕でも、
年金保険料だけは、毎月忘れずにちゃんと払い続けて来たのだから不思議だ! と 思う 今日この頃・・・。
2004.5.1

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自己責任
イラクで人質となった5人の若者が、無事解放されたニュースに胸を撫で下ろしたのもつかの間、この事件の本質をすりかえるように、政府・与党のすざましい、被害者へのバッシングがはじまった。
それを伝えるマスコミの中には、まるで、成人式で大暴れをした一部の若者と、今回人質となった若者を同一視するかのような論調すらある。

僕自身、NGOの活動をしている友人がいるわけではないが、アフガニスタンで医療活動をしているペシャワール会の中村哲医師の活動や発言をテレビで見ていて感銘を受けていた。
彼らの話や映像を見る限り、紛争地域で活動している人たちが行っている行為(人道支援であれ、取材であれ) が、冒険心、金儲けや名誉欲でやれるようなこととは思えないのだ。
率直に云って、こうした活動は本人の「自律した意志と責任」をなくして、やれるものではないとを実感する。

今のイラクを、政府が云うように「非戦闘地域」だと本気で思っている人はいないだろう。
その地域に、武器も持たず、軍隊にも国の機関にも依存せず、イラクの子供たちの人権を守ろうと出かけていった若者、悲惨な現実を記録し伝えるためにカメラを持って出かけた若者の行動に、青年ゆえの未熟さは感じても、その行為を否定することはできない。

「自己責任」という言葉は、普通、まともに社会生活を営んでいる人間はほとんど使わない言葉である。
それは、日々の暮らしの中では、誰もが無意識に当たり前のこととして考えて生きているのだから・・・。

むしろ、僕たちは、「自己の責任」だけでは解決できない社会的な問題 〜戦争・環境・経済・食料・教育・年金そして地震や台風など自然災害 等々〜にいつも悩み苦闘しているのだ。

イラク戦争の目的だった「大量破壊兵器」の存在はいまだ発見できず、次に持ち出した「テロの撲滅」ではテロを拡大・拡散させ、占領に反対しているイラク市民を無差別に殺戮し、兵士として送り出された世界の若者たちの命が失われ続けている。

本来なら、この戦争にいち早く支持を表明し、憲法に違反してまで「自衛隊」を派遣した政府こそ「自からの責任」について、真摯に問うべきではないか!

派遣された自衛隊員に被害が出る前に、一度撤退し、日本がやるべき「人道支援」「国際貢献」の形について再検討すべき時だと思う。

今回の出来事は、同じ年代の子を持つ親として、とても人ごとには思えなかった。
2004.4.22

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わが町の郵便局
たま〜になんだけど、ネットで海外から注文を頂くことがあるんです。
国内の場合は、
ネコさんに運んで貰っているので、海外に送る相談をしたら、あまり乗り気じゃないみたい。
郵便局の方がいいかも・・・」と何故か、ネコさんは強調するのだった。

そんな訳で、2年前の夏、初めての海外通販の品は、
郵便局の小包で送ることになりました。

ガッチリ梱包し持っていくと、「税関で必ず箱を開けられ中味を確認されますので、梱包は簡単にしたほうがよいと思いますよ。」
請求書や振込先の資料を入れた封筒も入っていると云うと「荷物確認したあと紛失しないかな〜」などと不安そうな顔。・・・・
なんだか、こっちも不安になったので荷物を持ち帰って、梱包をシンプルにやり直し、文書は郵便で別に送ることにしました。

・・・それから10日後・・・

荷物は、もちろん無事にちゃんと届きました。
それ以降、たま〜にある外国からの通販は、上士幌郵便局から送ってもらっているのです。

はなしは、国際的な流通問題から、ローカルな話題に変わりますが・・・

わが町の郵便局では、地元で活動している作家さんの作品を紹介する「展示コーナー」を設け、週単位で個展が開催されているのです。


人口5,000人ほどの小さな町ですが、一年以上にわたり週単位で、展示会を継続しているなんて、とてもスゴイことだと思うのです。

そんな訳で、この企画をすすめている郵便局長さんと職員の方達の熱い思いに心動かされ、4月12日〜19日まで
「黒曜石の世界」の個展やらせていただいています。

町内の大勢の皆さんに、地元の石で作った作品を見ていただけたら、うれしいなぁ〜と思っています。
2004.4.14

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黒曜石の鏡
「黒曜石の世界」を公開して3年が過ぎた。
パソコン初心者の僕にとって、HP制作ソフトのマニアルの文書は読めても、意味はチンプンカンプン。
製作開始から、1ヶ月かかってなんとか出来上がったものの、最も苦労したのは石の撮影だった。
研磨して漆黒に磨いた黒曜石をデジカメで撮影すると、自分もカメラも周囲の風景も全部写ってしまうのである。特に研磨が凸面であればあるほど、そう、あの道路の十字路などに設置している交通安全Mirrorのように180度映ってしまい、使い物にならなかった。
余計なものが写らない様にと、真っ黒い大きな紙に、カメラのレンズが入る穴をあけたり、ライトの角度を変えたり、いろいろと工夫し撮影してはいるけれど、未だ悩みの種である。

要するに、研磨し漆黒に磨いた黒曜石は「鏡」そのものなのである。

しかし・・・

不思議なことに、石の加工技術のレベルでは世界のトップ水準にあったと思われる「縄文」の遺跡から未だに
「黒曜石(オブシディアン)の鏡」は一枚も発見されていないのである。

そんなおり、朝、コーヒーを飲みながら読んでいた新聞広告記事に目が張り付いた。
旅行社のツアーの小さな広告記事の中に、
トルコ・アンカラのアナトリア文明博物館でオブシディアンの鏡を見ることができる・・・のコピーが飛び込んできた。

やっぱり黒曜石の鏡はあった

すかさず、ネット検索でその情報を探しまくった。
ほとんど、鏡の歴史は弥生時代の金属鏡からで参考にならなかった。
・・・が、ついに「黒曜石の鏡」発見・・・しかも、その博物館で実際に現物をみた方が解説しているHPを見つけた。
寺井ガラス技術研究所・寺井良平氏の「ガラスに出会う」というタイトルのHP。
「黒曜石の鏡」のことがとても詳しく紹介されていたのだ。

 〜今から8000年前、人は黒曜石で鏡を作っていた〜

当時、それが呪術の道具だったのか、化粧道具だったのか、現物を見たことのない僕には判断がつかないけれど、漆黒の石の鏡に映った鏡像は、8000年前に生きた古代人にとって神秘的だったに違いない!と思った。
とりあえず、自分でつくり、確かめようと決断し制作をはじめた。

完成した「黒曜石の鏡」。 僕が最初に見たのは、なぜか?・・・
「青い空に浮かぶ太陽だった。」・・・。

日本の古代遺跡から「黒曜石の鏡」が出土することを待ち望みながら、今夜も一杯飲んでいます。 
2004.3.28

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納豆の容器 正しいゴミの分別について
わが町のゴミは、1.燃えるゴミ、2.燃えないゴミ、3.有害ゴミ、4.大型ゴミ、5.資源ごみの5つのカテゴリーに分かれている。

この5分類の中味はさらに細かく決められていて、ちょっとした気の緩みがミスを生み、回収されず悔し涙を流すことが少なからずあった。
普通、ゴミ問題は、夕食の最中に話し合うテーマではないと思うが、今夜のテーマは何故か「ゴミの分別について」だった。

「お父さん、4月から分け方が変わるから、しっかり覚えてね
と妻は町から届けられた「ごみの分け方・出し方」というパンフレットを示しながら、その改定される分別方法をペラペラと語るのである。

妻が簡単な例として説明してくれたのは
「毎朝いただく納豆の容器の分別方法」についてだった。
・・・なんと、あのいつも食べている3カップ1セットの納豆の容器は、
5種類に分けなければならないのだという。今まではたしか2種類だったのに・・・?
妻は、次々に例題を出し「この場合はこう分けるのよ」と説明してくれたが、納豆のゴミ分類ですでに打ちひしがれてしまったので、そのあとはチンプンカンプンだった。

思い起こせば子供の頃、納豆はワラに包まれていた。だからゴミといえばそのワラだけで、ストーブに入れ燃料として燃すか土に埋めて肥料にするかで、それはゴミではなかったように思う。

困惑している僕の顔を見て、これからは
「単純な包装の納豆を買う」と云ってくれた妻の深い愛に感動した!?

食べ物そのものが汚染されているだけではなく、その汚染された食べ物を包んでいる梱包が、大量生産と効率化で人を悩ませている。
そして、その付けは全てゴミ担当が背負うことになる・・・。

ここ2〜3日十勝も暖かい日が続き雪も融け始めた。
ヒグマはまだ穴の中だけれど、エゾシカも、キタキツネモモンガも活発に活動をはじめている。考えてみれば、この動物たちはゴミを出さない。

要するにゴミで悩んでいるのは、ゴミを作っている人間だけだった・・・。

本質的な解決の道を探りながら・・・「ゴミの出し方、分け方」のパンフレットを読み、分別方法について必死に勉強している自分が何ともいとおしくさえ感じる。
・・・明朝は、「資源ゴミ」の日・・・
2004.3.21

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いろいろあってさぁ〜
1月はとっても長く感じていたのに、2月はあっと言う間に過ぎてしまった。
しかし、その「あっと云う間」の時間にしては、
暗いことばかりが凝縮されていたようにも思える。
肉好きの僕にとっては
「BSE」にしても「鳥インフルエンザ」にしても、かなりのショックだし。
竹中大臣がニコニコして「景気は回復」なんて云ったって、全然実感ないし・・・。
北海道だから、冬に雪が降るのはしかたないけど、その降り方は尋常じゃないし・・・。我が工房なんか除雪した雪が3mにも達し「白壁」に囲まれている状態なのだ。

「きまぐれコラム」は、ほろ酔い気分で明るい話題を書きたいのだけれど、それが見つからない

もう暗い話は聞きたくないと云う方は、この先は読まないで下さい。


以前のコラムで
「僕と息子は4月28日生まれの同じ誕生日で、あのイラクの独裁者サダム・フセィンの誕生日と同じだった。」という悲劇を書きましたが、この2月新たな事実が判明してしまった。

実は、僕たち夫婦の結婚記念日は2月16日でした!
いい年をして派手なイベントをやる訳ではないのですが、この暗いことばかりの2月、唯一期待をかけていた「16日」・・・。
しかし、その期待も簡単に打ち砕かれてしまった。
当日の朝、テレビ局各社は、
「キム・ジョンイル」のオンパレード・・・なんと、僕らの結婚記念日は金正日(キム・ジョンイル)の誕生日と同じ日だったのです。

誕生日がフセィンで、結婚記念日がキム・ジョンイル・・・偶然とは云え、このような不運が重なりあっても落ち込まない人がいたら掲示板にメッセージ下さい。

役場の友達に
「誕生日とか結婚記念日って変更できるのか?」と聞いたら「それはできない。」と云われた。

元気くんのページで紹介した
29の元気くんは、このような社会的背景の中で生まれ、「いろいろあってさぁ〜元気くんと命名されました。

僕の心情を察して下さったのか? ご自身の心情にピッタリだったのか?
いずれにしても、早速
29をお買い上げ下さった「千葉のMさん」には心からお礼申し上げます。
気が向いたら元気くんのページに遊びに行ってやって下さい。  ←いろいろあってさぁ〜

明日は3月、明るい春はもうすぐだ!
2004.2.29

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幸せの黄色いタオル
2月9日月曜日は「資源ごみ」を出す日で、担当の僕としては緊張していた。
なぜなら、前回、ペットボトルを入れたゴミ袋のなかに一つだけ栓を外さなかったボトルがあったため回収されず、前々回は、ビンの中に小さなペットボトルが入っていて回収されなかったからです。
今回は、完璧にチェックし自信を持って出したのですが、またもや雑誌の束が回収されなかったのです。
理由は「雑誌は5kg」以内にまとめるべきところを重量オーバーとのこと。
当町では、回収しない場合、ゴミ袋に回収できない理由がメモ用紙に記載され貼られているので、理解できるシステムになっている。

今回の場合、石を計る計りで確認したら、5.3kg・・・。
0.3kgぐらい「いいじゃん」と思ったけど規則違反だから反論の余地なし。
決まりは守らなければと思いながら・・・
しかし、担当者として、三回続けてミスをしたことに挫折感を感じ自分自身の軽率さを恥じていた。

冬場、資源ゴミを出す作業は結構辛く、今朝もかなり冷え込んでいた。
工房の温度計を見たら
マイナス15℃だった。


マイナス15℃以下になったら実験したかったことがあった。

あの「シャボン玉も凍る」実験以来、次にやりたかったのは「濡れたタオルはこの寒さの中で、何回振り回せば棒になるか?」の実験だった。

・・・この段階で、一瞬 「ゴミ問題」は脳裏から消えた・・・。

アメリカの西部劇「
幸せの黄色いリボン」、山田洋次監督の「幸せの黄色いハンカチ」は大好きな映画で、この実験に使うタオルの色は絶対に「黄色」と決めていた。
「シャボン玉も凍る」の実験の時にも、ジョキングしていたオバサンの冷たい視線を感じたけど、今回も見られてしまった。
ジョキングオバサンは、一端通り過ぎたのに、わざわざ戻ってきて、タオルを振り回している僕をじぃーと見ていた。目と目はあったけど、僕のほうが視線をさけたような気がした。

で、結論から云うと、濡れた「タオル」は20回振り回したら完璧に棒になり、しかも、それはかなり芸術的な造形だった



見てやって下さい
 凍った幸せの黄色いタオル



この黄色いタオル、ゴミの出し方のちょっとした間違いより、はるかに悪質と思われる憲法違反の「イラクへの自衛隊の派兵」に抗議の思いをこめて、思いっきり雪に突き刺しました。
2004.2.10

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マイナス24.5 〜冬の旅〜
                    
年賀状に「真冬の北海道はいいぞ〜」と書いたら、神奈川から突然、二人の友が本当に来てしまった。

誕生日の月なら全国どこでも1万円で行ける特割航空券を使いやって来た。
その
Sは、1月1日が誕生日で、このコラムでも紹介したことがある「ホヤの燻製のあの人
もう一人は、特割3名まで使えるとのことで、便乗した
(元気くんのページでも紹介している非売品の親友)。

大雪でも降ってくれれば、「地獄の除雪」作業を手伝わせようと密かにたくらんではいたが、完璧に晴れ渡ってしまった。

・・・一日目は我が家に泊まってもらい、妻の手料理で宴会、二日目は糠平温泉・民宿「山湖荘」・・・
二夜にわたり飲みつづけ、真面目に語り合ったテーマは
「中年男の正しい生き方について」

たいして期待できる結論も得られぬまま酔いつぶれ、7時に目を覚ますと窓の外には「ダイヤモンドダスト」がキラキラと幻想的な光を放っていた。
気温マイナス24.5℃、まさに極寒の朝だった。さすが糠平!

それにしても、本州から突然、真冬の北海道に来て、この冬最低の温度を体感しながら平然としている二人をみて
「何故なんだ・・・?」と思ったが、朝風呂の脱衣所の体重計の針をみて納得した。

S氏の体重は
70kg弱、T氏はなんと89sその風貌は「高見盛」・・・彼らは、ぶ厚い脂肪に覆われ、まるで鯔(トド)だった!

ちなみに僕は55kgで、人間として素直に気温の変化を体感できる体形だと思われる。
宴会のテーマは
「中年男のダイエット」にすべきだった!
2004.1.28

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雪は天から送られた手紙

                    十勝工芸社
雪の研究者、故中谷宇吉郎氏は「雪は天から送られた手紙である」と云った。
なんとロマンチックな感性・・・初雪の頃、大地を銀世界に変えてしまう雪の美しさはロマンにあふれている。一夜のうちに変わる風景を見ることができるのは、北国に住むものだけの特権のように思える。・・・
が、今は事情違う!

雪は、時間の経過とともにそこに住む人間の感情を変えてしまうのだ。
初雪のころの感動は、しだいに怒りに変わり、そしてあきらめに変わる。
「贈り物」はたま〜にいただくから嬉しいのだ・・・それが毎日、これでもか、これでもかと送られ続けると、「いい加減してよ!」って気持ちになってしまう。

北海道の中でも十勝は、寒いけど雪が少ない地域・・・なのに、1月に入って7日以降ほぼ毎日のように降り続いている雪・雪・雪。
特に、今夜の降り方は尋常ではなく、シーズン最高の積雪を記録しつつある。

雪かきは、本来「無心」でやらなければならない行為なのだが、あまりの激しい降り方にタブーは破られ、つい考えてしまった。
「雪って一体なんなんだろ〜?」
北の国に生まれて、ずーと雪と付き合ってきたのに、これまで考えたことがなかった高度な疑問。
宇宙に存在する物質の形態は「
気体」「液体」「固体」の3態に分類されると云われるが、はたして雪はどれに当てはまるのか?

・・・雪かきを中断し・・・「広辞苑」で調べたら「水蒸気が空中で昇華し結晶となって降る白いもの」と書いてあった。全然、答えになってない!
インターネットで調べたけど、「雪の正体」を解説しているサイトは見当たらなかった。

・・・この間も雪は止め処なく降り注いでいた・・・

ついに、みつけた一冊の本、以前買った「Newton」竹内均さん監修の科学誌96年2月号・・・
「雪とは、水蒸気が水滴に凝結せずいきなり氷晶したもの・・・ 雪は「気体、液体、固体」のいずれにも属さない物質で〜現代でもまだ未解明」

解説の結びに
「雪の結晶に設計図はない。雪の結晶とは永遠に続く成長過程の1コマをいうのであって、あるタイプへの完成がめざされているわけではないからだ。・・・雪の結晶と生命がともに変幻自在の自由さをもつのは、水という不思議な物質を素材とするからなのである。」(Newton 96.2灼熱の雪景色 文 吉岡安之)

・・・ほとんど理解できなかったけれど、雪は「気体でも液体でも固体でもなく、その正体が未解明」だという結末に、妙に気持ちが落ちついて、僕は再び「雪かき」を始めていた。
2004.1.14

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爪 楊 枝
 

正月も三日目に入ると、人間だらけてしまうような気がする。

年末に娘も帰郷し、久しぶりに家族四人が揃い和やかな正月だった。
我が家では、食事を作る人、食後食器を台所に下げる人、洗う人がその日ごとに分担されている。
いくら酔っ払っても、その日の当番は守らなければならない我が家の掟。

今日の場合、夕食は娘の希望で「手巻き寿司」、作るのは妻、食器を下げるのは僕、洗うのは息子だった。

食事中はできるだけテレビは見ないのだが、たまたまつけていた番組
「決定的瞬間もろ見え!超ギリギリ禁断映像」・・・現実に起こった決定的瞬間の映像が次々に映し出され、つい画面に目が張り付いてしまった。

食事が終わり、食器を下げ、テーブルを拭いていた時、テレビには
「競馬馬から騎手が落ちそうになり、かろうじて馬の首にぶら下がりゴール」という傑作な映像が流れていた。」 ・・・目はテレビ、手は勝手にテーブル拭いていた・・・・
その結果
テーブルの上にあった「つまようじを入れたケース」を弾き飛ばしてしまった。

ほろ酔い気分のわが身を襲った悲惨な事態。
床に散乱した
「つまようじ」を拾っている姿を家族はながめなから「決定的瞬間」と喜んでいた。

朝、
爪を切ったばかりだったので、床に散乱した「つまようじ」をつかむ事は容易ではなかった・・が、何故か、拾いながら1本2本3本と数えていた。合計81本だった。

年末に、息子と「ラスト・サムライ」を観て、2004年はサムライ魂を取り戻し心静かに生きよう」と決意した直後の出来事だっただけにショックは隠し切れなかった。

こんな時に、「なぜデジカメで写さなければならないの?信じられない?」と妻は云った。
が・・・僕だって信じられない?!。
けど、飛び散った「つまようじ」は、なんか幾何学的で結構不思議な模様だった・・・。

そんな訳で、「きまぐれコラム」 今年もほろ酔い気分で書いていきます。

  本年もよろしくお付き合い下さい。
2004.1.3

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真冬の夜空に大十字星
秋に札幌のさんから二本のみごとなガラスの板を頂いた。
厚さ14mm幅70mm長さ250mmのガラスの板。
その1本を使い「木の葉型尖頭器」に挑戦、幸運にも折れることなく大型の尖頭器が完成。
さっそく、Xマスプレゼントのつもりでお送りした。

そのお返しに頂いたプレゼントは、「年末の星の情報」・・・冬の大三角に土星が加わり描き出された
「大十字星」だった。
北天を飾るもっとも明るい星たちが、大きな十字架を描く今年最後の珍しい天体ショーである。

台風10号の直撃、十勝沖地震、イラクへの自衛隊の派兵・・・なんとも重苦しい1年だったように思うけど、この大きな十字星を観ていると、来年はきっと良いことがありそうな予感がする。

冬の夜空に描かれた
「大十字星」、晴れていれば日本中どの地域からでも観ることができると思います。
僕の住む北海道十勝では、深夜ちかく真南の夜空で美しく輝いています。
十字の頂点に−0.4等星の土星、左にこいぬ座のプロキオン0.4等星、右にオリオン座のベテルギウス0.5等星、そして−1.5等星のシリウス、他に明るい星がないので容易に見つけることができます。

除夜の鐘を聞きながら、新年の希望を
星に願ってみてはいかがでしょう。

2003年、「黒曜石の世界」にお付き合い下さった皆さんに心からお礼申し上げます。

よいお年をお迎え下さい!
2003.12.28

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イラクへの自衛隊の派兵はまちがっている!
12月9日、「イラクへの自衛隊の派兵」の政府決定を説明する小泉首相の記者会見を聞き、我が耳を疑った。

ブッシュの戦争にいち早く「支持」を表明し、アメリカとの軍事同盟を最優先してきた首相だから「自衛隊の派兵」はどんなことがあっても押し通そうとするだろう事は、予測の範疇・・・それは驚きではなかった。
が、事もあろうに
「日本国憲法前文の一部」を持ち出し「正当化」しようとする、あまりの節操のなさに恐怖を感じた。

小泉首相は、憲法前文の前段に書かれている「戦後の日本が再び戦争を起さないという意思」と、憲法本文の「憲法第九条」を無視して読み上げた。

なんという ご都合主義!

誰が読んでも、日本国憲法の主旨は
「国際紛争の解決の手段として武力を行使しない」という単純で明快な文章だと思う。

日本国憲法 「第九条の1
 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する。


この九条には、一切ふれず、憲法前文の一部分を使い「イラクへの自衛隊の派兵」を正当化しようとする態度はあまりにも
゛姑息゛としか云いようがない。
彼の言葉、テレビで映し出された彼の表情に
「イラクの復興を本気で支援する」という思いは一欠けらも感じることができなかった。

イラクへの自衛隊の派兵に反対する圧倒的な世論に対し
「テロに屈してはならない」とか「国際貢献」などと耳ざわり良い言葉を繰り返していたが、結局は「信頼にたる同盟国・日本 」アメリカに認めてもらいたいだけの「派兵」だと思わざるを得なかった。

      ・・・・・・・・・・

今日の朝、7時半 仕事をはじめる前に床屋にいった。
となりに座ったお客さんが
「俺の同級生、イラクに行くことになりそうだ。」と辛そうに語っていた。
僕の同級生にも、同級生の夫にも、後輩にも、石の好きなお客さんにも自衛官はいる。
同級生とはたまーに会って飲んで、意見がぶつかり合うこともあるけれど、僕にとってはかけがえのない仲間たちなのだ。

・・・日本人が戦後初めて他国民を殺すかもしれない、もしかしたら他国の地で日本人が殺されるかもしれない・・・僕はこの大儀なき自衛隊の派兵には「反対」の態度を貫こうと思っている。
2003.12.14

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LET IT BE... 〜なすがままに〜
宇野重吉主演のテレビドラマ「わが美くしの友」を観たのは、たしか1975年の秋だったと思う。
バイクとビートルズが好きだった老人が、孫息子の名を語り、美しい女性にラブレターを送り手紙で交際をしてしまう。
ドラマの詳細は覚えていないが、最後に老人はバイクの事故で亡くなり、ラストの葬儀のシーンで、孫が「おじいちゃんの大好きだったビートルズのレット・イット・ビー」のレコードをかけ、死を悲しむ・・・。
都会で生きる孤独な老人と、知らず知らずのうちに老人を傷つけていく若者との葛藤を描いた深刻なドラマなのだが、なぜかここちよく心に残っていた。
僕は、ビートルズの名曲
「レット・イット・ビー」をこのドラマを観て知り、当時レコード盤のアルバムを買ってよく聞いていた。

          ☆ ☆ ☆

高度なデジタル技術によって当時ビートルズがスタジオで鳴らしていた音を忠実に再現したアルバム「レット・イット・ビー」が発売されたことを聞き、帯広のCDショップに駆けつけ購入した。
詩も曲も再現されたサウンドも素敵なアルバムだ!

今日の休日の目的は一応達成したのに、何故かCDの陳列棚を検索し始めてしまった。

そして、もう1枚のCDが目に留まった。
「みだれ髪」美空ひばりの名曲・・・前から欲しかったが、ずーと我慢して買わずにいたCDだった。

ビートルズと美空ひばりを同時に買ってしまう性格に 
゛つらい゛ものを感じ、レジの店員さんの視線を避けながら支払いを済ませ、下向きにCDショップを後にした。

今日の自分は「LET IT BE 〜なすがままに〜」・・・・だから ま、いいっか

そんな訳で、今夜のコラムはウィスキーを飲みながら、
「LET IT BE」「みだれ髪」を交互に聞きながら書きました・・・。

「わが美くしの友」は、もう一度観たいテレビドラマです。
2003.12.2

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オーロラを追いかけて


10月28日、太陽が過去30年間で最大規模のにフレアと呼ばれる大爆発を起した。
さっそく、NASAのHPで、太陽観測衛星(SOHO)の画像を見て愕然とした。・・・すごい迫力・・・
29日、その黒点は肉眼でも見えるというので、月末の忙しい日だったけど、板ガラスのカケラをロウソクの煤で黒くし覗いてみた。
見えた!NASOの画像どうりに大きな黒点が見えた!

北海道の
低緯度オーロラ観測のメッカ、陸別の「銀河の森天文台」は僕の実家から約20kmの距離にある。
我が実家のある足寄町上利別でも、昔から低緯度オーロラは観察されていた。
子供の頃、父が「オーロラが出ているぞ、見てみろ」と云っていたことを思い出していた。

10月29日夜、町の商工会の会議を終えて、自宅に帰り一杯飲んでメールを開いたら、実家の姪っ子から
「おじさん、会議なんかやっている場合じゃないよ。今、オーロラが観えているよ!」とのメールが届いていた。
なんということだ。。。もうウィスキーのオンザロックを二杯飲んでしまっていた。

10月30日、仕事を終えて、我が家を飛び出しオーロラが観えるであろう丘をめざした。
途中、実家に立ち寄り、関係者を車に同乗させ、ビューポイントを走り回った。
人工の光が届かない丘からみたこの夜の星空は息を呑むほどの美しさだった。が、オーロラを確認することはできなかった。
やむなく、陸別町の「銀河の森天文台」にむかった。直径115pの大反射天体望遠鏡を備えた天文台には、前日のオーロラを捉えた画像がHPと、テレビ、新聞で紹介されていたため、オーロラを観ようと天文ファンが殺到していた。
この夜、結局、低緯度オーロラは観る事はできなかったが、大口径の望遠鏡は「土星」と地球から遠ざかる「火星」、地平から登る「オリオン座大星雲」の美しい姿を観せてくれた。

それにしても、今回の太陽の大爆発はすざましい迫力、そして、強烈な磁気嵐がみせた「低緯度オーロラ」は神秘的だっに違いない!・・・できれば肉眼で観たかった・・・。

2003.10.31

きまぐれコラム 目次

雪青 (せっせい)
ヶ月ほど前、妹が「ヤッちゃんの本」と云って一冊のエッセイ集を読んでいた。
その時、チョットだけ見せて貰ったが・・・ずーと気になっていた。

その「ヤッちゃん」から10月の初めに郵送でその時の本が届けられた。
「ヤッちゃん」とは、生まれ故郷、足寄町上利別の住民で10歳年上の先輩である。
先輩なのに「ヤッちゃん」と云う呼び方をするのは失礼なような気がするが、でも町の誰もが昔から、そう呼んでいたので、それ以外の呼び方は極めて不自然で他人行儀になってしまう。・・・やっぱり「ヤッちゃん」はヤッちゃんなのだ。

自主出版の本って、最低でも50冊くらい出版されるものという常識は崩れ去り、今やパソコンは一冊の本を作ることを可能にしてしまったようだ。

               
世界に一冊しかない本

「私のABC(アルファベット)と命名されたエッセイ集、この一週間僕の枕元に置き繰り返し読んでいた。

一文章、一ページ程に収められた73章のエッセイ、そこには、身近にいた先輩の全く知る由もなかった終戦と戦後間もない少年時代の生々しい体験が、花や風や月の光の美しい記憶と重ね合わせながら語られていた。
そして後半は、僕が子供の頃に見ていた゛美しい故郷゛の印象的な場所や暮らしの中の道具たち・・・ランプ、石炭ストーブ、煙突掃除・・・ 読みながら、自分が子供だったころにタイムスリップしているような錯覚に陥っていた。

読み進めていく中で、
「雪青」(せっせい)と云う題の文章に僕は固まった。
「雪青」 〜 
月の光が雪の窪みに淀むときの色 〜 なんて美しい言葉なんだろう!
言葉は知らなかったが、その色を、僕は鮮烈に覚えていた。
確か中学3年、春に高校の受験を控え、受験勉強に嫌気が差し友だちの家に遊びに行った帰りに見た、真冬の月光に照らされた神秘的なあの青い雪の色だった。
凍て付く寒さの雪道で見た、あの雪に投影されていた
青白い光色が脳裏に蘇った。

ヤッちゃんのエッセイ集を読みながら、戦争と戦後の極限状態にあっても、人は美しいものを美しくとらえる感性を持ち続けることができるのだという勇気と、二度と戦争をしてはならないという作者の強いメッセージを感じていた。

本の冒頭に、この本は「私の家族に贈りたい。そして私をこの世に送り出してくれた父母の墓前にささげたい。」と書かれていたが、僕の元にある、
世界に一冊の本「私のABC」はすでに大勢の人々に愛読され、ページは人の手で真っ黒になっていた。

エッセイの文章を紹介できないことは歯がゆいけれど、もうじき訪れる冬、街灯のとどかない夜道で、月光に映し出される青白く光る雪、
「雪青」を再び観ることができたら、「気まぐれコラム」で実況生中継しようと思う。
2003.10.19

きまぐれコラム 目次

十勝沖地震
家具の、カタカタ・カタカタと震える音に目を覚ました。
地震だ!と思った瞬間、寝室は左右に20pくらい横に大きく揺れ動いていたように感じた。

9月26日4時50分、北海道は十勝沖を震源とした
マグニチュード8の強烈な地震に襲われた。
30秒ほど続いた
震度5弱の強い揺れが収まった時、「お父さん店の方で音がしていた。」と妻が云った。
我が家は無事だったので、とにかく工房に走った。
作業場は無事、事務所は雑然と積んでいた本が散乱していた。


・・・それを見て、僕は絶望的な気分になっていた・・・

                    
ギャラリーの四隅には、流木や高さ2mほどの丸太の台に大きなシマフクロウの彫刻をのせていたし、宇宙やシルエット彫刻、石器や元気くんたち約300点ほどの工芸品は木製の陳列棚に置いある。

黒曜石は、硬いけれど割れやすく、石器の材料としては最適なのだが・・・。
あの激しい揺れで、石たちがぶつかれば悲惨な状況になることは目に見えている。

ほとんどあきらめの気持ちでギャラリーに入り・・・我が目を疑った?!

「元気くん」と「小さなフクロウ」が何個かが転んでいたが、他の石たちは動いた形跡すらないのである。
石たちの無事な姿をみて全身の力が抜けたが、気を取り戻し、余震にそなえ取り合えず大きな彫刻を床に下ろし、自宅に戻った。

テレビは、津波にそなえ太平洋沿岸の釧路港や十勝港、苫小牧の石油タンクの火災映像を繰り返し流していたが、十勝沖地震の被害の実態が明らかになったのは地震発生の翌日だった。
引き裂かれた道路、津波に打ち上げられた船、道路の陥没で1m以上浮き上がったマンホール、電気、水道、ガスのライフラインの被害もかなりの市町村に広がっていた。

10年前にも、釧路沖地震で同じ震度5を経験していたが、今回の地震の一撃目の激しい揺れも、今だ続いている余震の恐怖による寝不足も、あの時を遥かに上回っていたように思える。

妻は、その日から、風呂の水は捨てず、鍋に水を入れ、家族全員に懐中電灯を1本ずつ持たせ、我が家の地震対策を強化した。
僕はと云えば、今まで信じていなかった
「パワーストーン」をインターネットのキーワードで検索したら、いろいろあった。
その中の一つに
「黒曜石は石を置いた場所を護る守護石と云う説明があり「もしかして本当かも・・・」と妙に納得してしまった。

今回の地震に際し、多くの皆様から、メールや掲示板、電話でお見舞いと激励を頂き、とっても励まされました。

心から御礼申し上げます。  ありがとうございました。
2003.10.1

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台風14号〜in北海道 〜
僕はこの日、台風14号が接近しつつある札幌にいた。
夕方になってやっと報道された「台風情報」・・・によれば、台風は今、佐渡ケ島付近の日本海を時速55qの速度で北上中・・・。
今日中に帰らなければならない!と固い決意をし、娘のアパートを飛び出した。

「高速に乗り旭川まで行き、大雪山を越えれば何とかなる。」と思っていたのに、ふと
「八角」のことを思い出してしまった。
一瞬を争う時にどうしてこんなことを思い出すのか自分でも信じられない。

「八角」
・・・それは知る人ぞ知る小樽沖で獲れる幻の高級珍魚・・・その味は「北のフグとも呼ばれる絶品」なのだ
姿・形は極めてグロテスクで、顔はワニみたいで胴体は八角形をしていて「竜の落とし子」が背筋を伸ばしたような魚体。でも、一度食べたら忘れられない美味さなんだ!

気が付いたら、僕は小樽の市場にいた。4匹一皿500円(
高級珍魚にしては安すぎる)、5皿20匹2,500円を買って高速道路に乗った。

ロスタイムは1時間、小樽を午後6時半に出ることができた。
台風は時速55km、僕は高速道路を80kmで走るわけだから絶対に北海道上陸前に上士幌に着けると確信して走った。
小樽から上士幌までは約300km、4時間半のドライブになる。

札幌から旭川に通じる道央自動車道は、空知平野の大平原を走るため、横風をもろに受け多少ハンドルは取られたが、無事に通過、旭川からは大雪山の縦走、一時的にバケツをひっくり返したような雨にもあたったか゜クリアー。
途中、雲の切れ間から覗く月と火星・・・なんとも不気味な光景を見ながら、なんとか無事にわが家にたどり着いた。
心配して待っていたであろう、妻に「ただいま〜」と云ったら、「シッ・今このドラマ最終回なの」と云われた。

翌朝、来店されたお客様から
「上士幌〜層雲峡につながる国道は風倒木で通行できなくなっている」と聞かされ凍りついた。

「いい年をして無謀なドライブをしたこと」を深く反省し、僕は毎朝
「八角」を食べている。

北の高級珍魚「八角」、本来は羽のような大きな背びれが付いているが、市場ではとってあった。
2003.9.17

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2003.8.27 火星大接近
〜 in ナイタイ高原牧場 〜
朝から完璧に晴れていたのに、夕方、工房からナイタイ高原をみると雲に覆われていた。
標高800m・ナイタイ高原牧場展望台から、十勝平野に昇る「大接近の
火星を観る」なんてやっぱり夢の夢だったのか・・・。

それでも、僕はあきらめきれず、車で牧場に向った。
夕暮れ時の展望台には、すでに20人ほどの人が、雲に覆われた東の空を見ていた。
レストハウスで、ジンギスカンの夕食を済ませ外に出た。その瞬間、僕の目に大迫力で
北斗七星飛び込んできた。
やった!西の空の雲が消えている。・・・わずか10分ほどの時間・・・みるみるうちに雲が消え、全天が星に覆われていく。

19時40分、ついに東の空の雲も消え、今夜のメインゲスト「火星」が姿を現した!

小さな町の美しい夜景、その真上に「オレンジ色の明るい光を放つ
火星」・・・すでに160人を超えたギャラリー、こういう瞬間に「大歓声」というのは間違いだと云うことを知った。その瞬間ギャラリーは「静まり返った」のだ。

楽しいこと、辛いこと、沢山の思いが込められた街の灯、夏中雲に覆われていた空がこの瞬間だけ晴れ渡り、その真上に、6万年という気の遠くなるような時間を超えて浮かび上がった「
火星・・・人は本当に感動したら声も出ないのだ!・・・。

事件は、このあと起こった!

1時間ちかく、この夜のナイタイ高原牧場は満天の星に覆われた。僕は、いつも黒曜石に彫っている星座を追いかけていた。

天上の天の川銀河、織姫星(ベガ)と彦星(アルタイル)そして白鳥座・・・その白鳥座の付近で一瞬
すざましい閃光を見たのだ!
僕だけが見たと云っても信じてもらえないけど、そのとなりで役場の観光担当の「T君」も見たのだ。
飛行機でも、人工衛星でもない閃光。もう一度見れるかも知れないと思い、近くにいた役場の産業課のA課長夫婦にも声をかけ一緒に見てもらった。
数分後、またしても光ったのだ! しかも、瞬間移動をして数回閃光を発した。
僕らは、顔を見合わせ「何だ?これは!」と云った。
T氏は真面目な顔で
「UFO」かも・・・。
僕は、もしや
「超新星爆発」、課長は、さすがに軽々しいコメントはしなかった。が、奥さんは「私も見た!」と云った。

で、僕ら4人は間違いなく白鳥座付近で
ストロボのような閃光を5回見たのたである。

そして21時、牧場の閉鎖時間がすぎ、後片付けをしている時、下界が雲に覆われ、地上の明かりを消してくれた。
これも一瞬の出来事だったけれど、僕らがこの夜、最後に見たのは、
雲海に浮かぶ幻想的なだった・・・
2003.8.28

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粋なはからい
8月27日「火星大接近」がナイタイ高原牧場展望台から見れるかも!?

8月2日展望台から撮影した夜景と、火星と星たちは8月27日20時30分のシュミレーションの合成画像

上士幌町と観光協会の粋なはからいで、世紀の天体ショー「6万年ぶりの火星大接近」のため、町営ナイタイ高原牧場展望台が夜間開放される

ナイタイ高原牧場は、わが町が誇る日本最大の公営牧場。牧場の中腹には十勝平野が一望できる展望台がある。
普段は3000頭の牛の安眠を妨害してはいけないとのことで、夜の7時にゲートは閉鎖される。

思い起こせば、この町に移住した11年前、僕ら家族は展望台で、満天の星と街の灯に酔いしれていた。
身も心も満たされ、ルンルン気分で夜の牧場をドライブし、いざ出ようとしたら、ゲートは完璧なまでに閉鎖されていた。牧場に門限があるなんて知らなかった・・・。

閉ざされたゲートの前で、「すみませーん。開けてください!」と大声で叫び続けること30分。
やっと気づいてくれた牧場の管理人さんが駆けつけ、なんとか開放された。

そんな想い出の「ナイタイ高原牧場の夜」が、8月27日に再び戻ってくる。
小さな街の灯、十勝平野に昇る
オレンジ色に輝く火星・・・。

8月に入って、十勝は異常なほど悪天候が続き結局「夏が来なかった」。
だけど・・・この夜だけは、きっと晴れると僕は思っている。

・・・ちなみに、天気予報は「晴れ時々曇り」・・・。しかし、今年は異常気象、いくらアメダスといえども、正確には予想できないはずだ・・・。

がんばれ「
タイガース!」、がんばれ「太平洋高気圧!
2003.8.22

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十勝人 夏色十色

 インタビューの後半はかなり乱れてしまったので、記事にはなるまいと思っていたが、今日の北海道新聞夕刊
(十勝版)にちゃんと載ってしまった。

少々気恥ずかしいけど、前回のコラムで約束した手前、掲載された記事紹介させていただきます。
長文なので一部省略しました。

 ヒマがあったら読んで下さい。

 ・十勝人・夏色十色 〜想像力かきたてる黒のキャンバス
                                     
 (帯広報道部 T.H)

 「この石の存在に気が付かなかったら、人類の進歩は大幅に遅れたよ、きっと」。十勝石に敬意を表して、こう言い切る。
     ◇  ◆
 十勝石と呼ばれる黒曜石は150万年前、大雪山の激しい火山活動により、マグマが地表に噴出して急激に冷えたため、結晶せずに凝固した黒い天然ガラスだ。
 一見何の変哲もない石ころだが、衝撃を加えると、一定方向に剥離する。
切り口は刃物のように鋭く、石器時代、ナイフや鏃に加工されていた。獲物を射止めたり、肉や皮を切り裂くのに使われ、人びとの生活に大きな恩恵を与えたはずだ。

「十勝石工芸の原点は石器づくり」。工芸品が並ぶギャラリーの一角に、自ら再現したナイフや鏃を大事に展示している。
 父親の故・哲夫さんは十勝石細工の職人だった。本別町に工房があり、いつも身近に十勝石がごろごろ転がっていた。
高校卒業後は神奈川で仕事をしていたが、父親が体調を崩したのを機に、1992年に十勝に戻った。
時々見よう見まねでいじっていた十勝石を本業にしようと、父の指導を受け、一年後、上士幌町でギャラリー兼工房を開いた。
      ◆  ◇
十勝石の魅力は、鏡のように光る奥深い黒。そこまで磨き上げるのには、荒いヤスリからフェルトまで10の工程が必要という。
「父の技術は越えられない」といいながら、想像力をかきたてる黒のキャンバスに、独自の発想で十勝の自然や動物を彫り上げる。
 その一つが星空。幼いころから星が好きで、自宅の屋根に上って見上げていた夜空が石の黒に重なった。細かく砕いて星の輝きを表現する技法を6年ほどかかって確立した。
大きさ約5センチのアンドロメダ(本文は土星となっていた)は三万個もの点で浮かび上がらせる。・・・・略・・・・
 古代人に思いをはせ、無限の宇宙を連想させる。十勝石はロマンの塊だ。  
                                            
2003.8.18

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という色?
北海道新聞社から、一週間ほど前に「色にこだわった仕事をしている人々」をテーマに記事を書きたいので取材させて欲しい旨の話があった。僕の場合は「」とのこと・・・。
たしかに、「黒曜石」にはこだわりがあるし、この石の
透き通った黒には魅了されてきた。
・・・が、僕としては、別に色としての「
」に特別なこだわりがあるわけではないし・・・。それに8月はイソガシーし。
かなり抵抗したのだが、結果的には押し捲られついつい受けてしまった。

そして、今夕、その取材がはいった。

ギャラリーショップの丸太のテーブルでコーヒーを飲みながら取材に応じた。
黒曜石そのものについて・・・加工技術のこと・・・この仕事に入ったきっかけ・・・等々前半は、かなりまじめに、丁寧に質問に応えていたが、30分ほどたった頃から立場は逆転していた。
僕が記者さんとカメラマン君に質問し始め、彼らが真剣に考え、応えるという変な状況。
これが、結構楽しいのだ!
            ・
            ・
            ・
元気くん: 「ところで、黄色を混ぜると緑色ができるけど、ってどんな色を混ぜ合わせるとできるの?」

記者さん: ?・・・「黒い絵の具がなくなった時、全部の色を混ぜたら黒になった・・・確か白い絵の具は入れなかったと思う」

元気くん:「そう、黒って全部の色が入っているんだ!」で、「本当のって写真に写るのかなぁ〜」

カメラマン: 「写真には写らないと思う。光がないと写真には写らない、光が当たると黒ではなくなる!」

カメラマン: 「もしかして、黒と白は色じゃないのでは?」

記者さん:「なんか、話が哲学的になってきている・・・」

元気くん:「日本の葬式の喪服はなぜ黒なの?」

カメラマン:「西洋でも確か黒い服を着ている・・・何か人間の感性に・・・」
          ・
          ・
・・・普段考えたことも無い色としての「
」・・・「カラスは肉も黒い」とか「宇宙の色は黒い」「いや最近の科学ではベージュ色」・・・・延々と黒一点で話は盛り上がったものの、今回のテーマ「黒」については三人とも疑問を残したまま取材は終った。

記者さんとカメラマン君が帰ったあと、いつものようにウィスキーを飲みながら、これで「記事」になるのだろうかと不安になった。

万が一ちゃんと新聞に掲載された場合、その全文は「気まぐれコラム」で紹介致します。
2003.8.7

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カラス VS 元気くん
北海道はここ2週間、寒い日が続いている。オホーツク海から冷たい空気が押し寄せ鈍よりした梅雨のような天気。

そんな夏の寒い朝、
僕は3羽のカラスとすざましいバトルを展開しているのだ!

僕は、我が家の「ゴミ出し係」、責任者である。
時々、曜日を間違え生ゴミを出すのを忘れることがあるが、頭のいい彼らは、、生ゴミの日には、餌を狙って電線で待機している。〜なんという記憶力〜
・・・「記憶力」では負けているような気がする?!

カラスの生ゴミの散らかし様は並ではないので、住民もネットをかぶせたり網の箱に入れたりと防御体制を強化している。
今や、カラスにとって、我が町内で、生ゴミの餌を得ることは簡単ではないのだ!

僕の生ゴミも以前は相当荒らされたが、「黒曜石もカラスも黒い」という理由で、ある程度許容してきた。

この朝、生ゴミあさりを断念した飢えたカラスは、ついに我が工房の小さな池の金魚に襲い掛かったのである。

工房の池には、木の根株が入れてあり、キツネや猫に狙われても隠れることができる。

ところが、カラスは違った。
3羽一組で三方向から金魚を包囲し、根株の隙間に足や口ばしを突っ込み、ピンポイント攻撃で襲っている。
憎いほど知的な攻撃・・・カラスがチームプレーで狩をするというのは本当だった。

しかも、ギャーギャー・ガァーガァーとすざましい声を上げ、一方的に池の中で大暴れしている姿はまるで米軍なみ。

急ぎ駆けつけ、追い払ったが、時遅く6匹いた金魚のうち1匹が食べられてしまった。

昨日の朝も、早起きして見張っていたが、食事をしているちょっとしたすきに、また1匹襲われてしまった。

やむなく木の根株の隙間を「黒曜石」で埋め「金魚シェルター」をつくったので、さすがに今日の朝はカラスもお手上げだった。
しかし、頭のいい奴らのことだ。油断はできない。

僕は今、敵の特性を知ろうと、検索エンジンで情報収集中。
もちろんキーワードは「カラス」。
だけど、こういうケースに対応するための適切なサイトに巡り合えないでいる・・・。
したがって、明日も早く起きて「見張り」をする羽目になりそう・・・。

「弱肉強食」自然界の掟とはいうものの、愛する金魚の命を奪われ、僕は悲しみと怒りに満ちている。

3羽の凶暴なカラスには、とりあえず「ブッシュ」「ブレア」「ラムズフェルド」と命名した。
今夜は早めに寝て明日の朝にそなえることにする。
2003.7.25

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トリビアの泉 〜素晴らしき無駄知識〜
「武蔵」「メジャーリーグの野茂登板」だけは時間の許す限り観るテレビ番組。
あとは「徹子の部屋」に好きなゲストが出るときと、NHKのスペシャル番組で気に入ったテーマの時。それ以外はほとんど観ていても上の空なのだか・・・
・・・昨夜は違った・・・!


「トリビアの泉〜素晴らしき無駄知識〜」 
タモリ他数人のパネリストが、視聴者から投稿された疑問に対する回答を映像で紹介し品評するというユニークな企画。

その中のひとつ、
「地球上の人間を一ヶ所に集めたらどれ位の面積に収まるか?」という疑問への回答。
タモリは昔同じことを考えたことがあるといっていたけど、僕は考えても見なかった。
こういう疑問を投稿する人って大好き。

そして、番組はその答えを出すため取材と実験をするのである。
平均的な体格の人間を数十人選び、電話ボックスに何人は入れるかの実験し、そこから得られた数値を世界の人口約
64億人に当てはめて計算、それに匹敵する地域を割り出すというもの。
はじめにオーストラリア大陸、次にイギリス、台湾・・・日本の四国・・・どれも広すぎ。
次々と地域を選び最後にほぼ当てはまったのは
琵琶湖だった。

愕然! 人間64億人が琵琶湖に収まる・・・

ちなみに
琵琶湖の面積は670.25平方キロメートルで、それでもまだ余裕があるとのことだった。
64億人って、ものすごい数だと思っていたけど、以外にちょっぴりなんだ。
テレビはここまで・・・。

で、そのあと僕は考えた。うちの町の面積。
早速、役場のHPにアクセス、データーをチェック。
わが町は700.87平方キロメートル。 
勝った!(過疎地人の悲しい優越感・・・)

上士幌町は琵琶湖よりデカイ。全人類64億人がヨユウで入るのだ。

暮らしていて ゛広いなぁ〜゛ とは思っていたけど・・・。
地球上の全ての人間が収まる広大な面積に、人間 5,616人、牛が3万頭しかいないのだから広いと感じて当たり前。

地球上の全人類が集まれる「小さな町の巨大な空間」 体感してみませんか
この夏、機会があったらぜひ遊びにいらして下さい。
2003.7.18

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ほやの燻製
人によって好き嫌いがあると思うけど、僕はあの「ほや」という原索動物がたまらなく好きだ。
当地では新鮮なものはなかなか手に入らないけど、マーケットの鮮魚コーナーで見つけると必ず買ってしまう。もちろん、生のまま食べるのである。文字表現できないくらい不思議な味、海のパイナップルともよばれ、古来より活力の源として愛されている「ほや」。

昔、東北新幹線が開通したころ、当時サラリーマンの僕はとある仕事で盛岡に出張した。
盛岡駅の売店で偶然に出会った
「ほやの燻製」、ほやは生で食べるものという常識が覆されたのである。
会議を終えて、ホテルの一室でビールを飲みながら食べた「ほやの燻製」に生の美味さが完璧に凝縮されていたのである。

それから数年の時が過ぎ、再び盛岡を訪れることがあった。
しかし、駅の売店で「ほやの燻製」をみることはなかった。
時間の許す限り市内のお店を探したが、ついに見つけることができず意味のない出張となった。

20年の時を越えて・・・

神奈川の友人から届いた一通のメール。 ・・・「仕事で盛岡に行く」・・・メールを見て突然蘇った、盛岡=ほやの燻製!
僕は即座に「ほやの燻製を探し送ってくれ!」と祈りを込めて返信した。

数日後、あの懐かしい「ほやの燻製」が3箱送られてきた。
20年ほど前に出会った時と同じキャラメル箱のような小箱、昔と同じ味、感動の燻製!
お礼の電話をしたら、彼は仕事より友情を重視し、出張期間中「ほやの燻製」を探し求め盛岡市内を歩きまわってくれたようだ。
で、君も食べてみたか?美味かったか?と聞いたら「石油」のような味がしたと云っていた。
献身的な友情に感謝しながら、彼がこの味を理解するまでには、まだまだ時間が必要だと思った。
2003.7.14

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